子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
Ry Cooder「I, Flathead」:この世界を肯定するギターの力強さ
昨年出たメイヴィス・ステイプルズのアルバムは,公民権運動時代に唄われた歌をライ・クーダーのプロデュースで採り上げた傑作だったが,そこで聴くことの出来たライのギターは,近年の本人のアルバムにおける演奏を遙かに凌駕する素晴らしいものだった。米国音楽のルーツを探る旅も良いが,そろそろこんなプロダクションで,本人のアルバムを聴きたいものだと思っていたら,そんな要望が形になって届けられた。驚き,喜び,感涙にむせぶ週末。
ワーナーのHPによると,2005年の第1作『Chavez Ravine』、2007年の第2作『My Name Is Buddy』に続く、カリフォルニア3部作の最終章にあたる作品ということだ(日本盤の発売は7月23日)。
ライ・クーダーの書き下ろし中編小説の主人公である架空のミュージシャン、Kash Bukと彼のバンド、The Klownsのナンバーを収録した,という楽しい設定になっているのだが,そんな背景は聴き始めてすぐに忘れてしまうくらい密度の濃い演奏が詰まっている。
殆どの曲はライのギターとヴォーカル,ライの息子であるヨアキム・クーダーのドラム,そしてレネ・カマチョのベースという3ピースバンド編成を基本に演奏されているが,曲によってフラコ・ヒメネスやジム・ケルトナーといった旧知の仲間が加わって,息の合ったコラボを繰り広げている。中では,やはりメイヴィスのアルバムで勢いがついたギターの変幻自在ぶりが際立つ。
メキシコからハワイ,沖縄,そしてアフリカからキューバを経て,西海岸に戻ってきたという旅の埃を,あちこちに振りまきつつ,ロックンロールの原型を鋳込み直す作業に精を出す姿こそ,永年ファンが待ち望んでいたものだ。
正にズシリという感じのビートとマリアッチの幸せな邂逅と呼ぶべき「Drive Like I Never Been Hurt」で幕を開けるアルバムは,スポーツカーの爆音で始まる6曲目の「Ridin' With The Blues」でそのヒートアップ度が最高潮に達する。
「渋い」という形容詞が定番となっていたスライドギタリストは,かつてなかったほどに燃え,古き佳きアメリカの姿をギターの弦で紡ぎ出しながら,その視線は確実に未来を射貫いている。古くて,新しくて,お茶目で,何より来るべき世界を楽しみに待つという姿勢で作られた(に違いない)音楽がここにある。
★★★★★
ワーナーのHPによると,2005年の第1作『Chavez Ravine』、2007年の第2作『My Name Is Buddy』に続く、カリフォルニア3部作の最終章にあたる作品ということだ(日本盤の発売は7月23日)。
ライ・クーダーの書き下ろし中編小説の主人公である架空のミュージシャン、Kash Bukと彼のバンド、The Klownsのナンバーを収録した,という楽しい設定になっているのだが,そんな背景は聴き始めてすぐに忘れてしまうくらい密度の濃い演奏が詰まっている。
殆どの曲はライのギターとヴォーカル,ライの息子であるヨアキム・クーダーのドラム,そしてレネ・カマチョのベースという3ピースバンド編成を基本に演奏されているが,曲によってフラコ・ヒメネスやジム・ケルトナーといった旧知の仲間が加わって,息の合ったコラボを繰り広げている。中では,やはりメイヴィスのアルバムで勢いがついたギターの変幻自在ぶりが際立つ。
メキシコからハワイ,沖縄,そしてアフリカからキューバを経て,西海岸に戻ってきたという旅の埃を,あちこちに振りまきつつ,ロックンロールの原型を鋳込み直す作業に精を出す姿こそ,永年ファンが待ち望んでいたものだ。
正にズシリという感じのビートとマリアッチの幸せな邂逅と呼ぶべき「Drive Like I Never Been Hurt」で幕を開けるアルバムは,スポーツカーの爆音で始まる6曲目の「Ridin' With The Blues」でそのヒートアップ度が最高潮に達する。
「渋い」という形容詞が定番となっていたスライドギタリストは,かつてなかったほどに燃え,古き佳きアメリカの姿をギターの弦で紡ぎ出しながら,その視線は確実に未来を射貫いている。古くて,新しくて,お茶目で,何より来るべき世界を楽しみに待つという姿勢で作られた(に違いない)音楽がここにある。
★★★★★
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« The Music「St... | Al Green「Lay... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |