子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「それでも恋するバルセロナ」:煌めく陽光の下,「ノーカントリー」の殺し屋,画家に転職す

2009年06月30日 21時58分31秒 | 映画(新作レヴュー)
ウディ・アレンの新作は,「ヴィッキー クリスティーナ バルセローナ」という原題が持っているリズムそのままに,悩める男女の四角(五角?)関係を軽やかに描いた秀作だ。役者を決めてから物語を紡いでいったとしか思えないキャストのはまり具合は完璧だが,特に途中出場で後半をさらってしまったペネロペ・クルスの存在感は圧倒的。独特の話術やテーマに違和感を持つ人はいるかもしれないが,女優を輝かせる魔術という点に絞って見れば,アレンが当代随一という意見に異論は少ないはずだ。

作品には,恋愛に関する情動と抑制,感情と行動の相関,自己分析と変貌衝動など,これまでもお馴染みのものが幾つもちりばめられているが,短いショットの心地よい連なりとクールなナレーションの導きで,アレン作品の平均的な尺数である96分は,あっという間に過ぎていく。その分,小難しい理屈は少ないが,カタルーニャ地方の午後の微睡みから見ると,ペースも密度も異なる時間になっているため,地元の人にも受けたかどうかは分からない。

アレンはこれまでもニューヨークやロサンゼルスなど,舞台となる街の空気が物語の方向を決定するような作品を数多く撮ってきたが,本作におけるバルセロナの扱いは特別だ。画面に登場する街の風景が,主要な登場人物4人のうち3人が芸術家という設定に沿って,ヴィヴィッドな輝きを見せていることに加え,芸術家が持つ熱情と現実の生活の折り合いをどう付けていくべきか,というサブテーマの最良の見本ともなっている。

ハビエル・バルテムは「ノーカントリー」のおかっぱ頭を切って,「僕達の関係には,ビタミンやミネラルがあっても何か足りないものがあったんだ。例えば『塩分』とか…」というとぼけた台詞に代表されるように,魅力的だがどこか浮世離れした芸術家フアン・アントニオを地で演じている。もしくは,そう見えるような自然な演技で,役柄上は米国人(実際は英国とスウェーデン)の美女2人組を歓待している。
アレン作品は3作目となるスカーレット・ヨハンソンと,「フロスト×ニクソン」での演技が記憶に新しいレベッカ・ホールは,貫禄と迫力でペネロペに押されているが,演技チームのアンサンブルは充分に保たれている。

私のご贔屓パトリシア・クラークソンは出番は少ないながら,相変わらず気品漂う美しさを見せている。また,フアン・アントニオの父で,断じて出版しない詩を書き続ける老人役の佇まいも素晴らしかった。お茶目なテーマ曲共々,この作品のチャームポイントの一つになっている。

名作「旅情」で,ヴェニスを訪れた中年女性の心情を描いたデヴィッド・リーンにこの作品の感想を聞いてみたい。ラストで列車の窓から手を振り続けたキャサリーン・ヘプバーンの表情と,本作でバルセロナを去る時の2人の女性の表情との差は何なのでしょう?と。

★★★★


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