子供はかまってくれない

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映画「ローマでアモーレ」:伝統に敬意を表したアレン流のオムニバス

2013年06月23日 23時47分50秒 | 映画(新作レヴュー)
80代を目前にしながら,相変わらず恋愛にこだわり,つまずいては立ち上がる男女を描き続けるウディ・アレンの新作の舞台は,欧州観光都市転戦シリーズ4箇所目となる「ローマ」だった。
しかも作品のスタイルとして選んだのが,1960年代のイタリアで突如として花開き,フェリーニやデ・シーカ,ヴィスコンティなどの巨匠もチャレンジした「オムニバス」形式というところが,いかにもシニカルな趣味人アレンらしい。

ローマの悠久の歴史に比べたら一瞬としか言えない生活を懸命に生きながら,それぞれに突然訪れる「大きな流れ」に身を任せることによって,彼ら自身が街の一部と化していく庶民の姿を奇を衒わずに切り取るアレンの腕力は,もはや「偉大なる予定調和」の領域に足を踏み入れたかのよう。自身も,引退したのに現役に未練たらたらの演出家というセルフ・パロディ的な役を,枯淡の境地で演じながら,ひたすら観客を楽しませる。
描かれるエピソードは4つで,そのうち艶笑譚と言えるものは二つ。「オムニバス」であるからして,エピソードが絡み合って大きな物語を紡ぐという展開にはならないが,仕事中の葬儀屋(実はすぐれたオペラ歌手)に握手された手を持て余すアレンのエピソードのような「身につまされ」小ネタが効いて,飽きさせない。

一方で,フェリーニに対する追慕の情は年を追う毎に強くなっているようで,平凡な市民が突然パパラッチに追いかけ回されるという,ロベルト・ベニーニのエピソードは「甘い生活」への,またエレン・ペイジとジェシー・アイゼンバーグが車の中で愛を交わすシーンは「アマルコルド」への,それぞれ熱いオマージュとなっている。
旺盛な創作力が必ずしも革新的な作品づくりと直結しなくとも,画面から映画への(それと同じくらい「女性」への)愛が伝わってくる限り,映画ファンが彼の作品を「どれも同じ」と見放すことはない,と断言する。
★★★★
(★★★★★が最高)


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