子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「リアル 完全なる首長竜の日」:題名にいつわりなし。首長竜だけは実にリアル
自殺を図り昏睡状態に陥った恋人の淳美(綾瀬はるか)を助けるため,彼女の意識の中に入り込んだ浩市(佐藤健)が,漫画家だった彼女が描いていた,縛られた人間(死体)が実体化しているのを発見して驚くシーンが何度か挿入される。そのどれもが,品良く人を怖がらせることに関しては最上級のセンスを誇る,黒沢清の「ホラー作家」としての面目躍如たるシークエンスだ。
しかし,硬直した「つくりもの」の画面が連続する展開が,ここから一気に転がり出すのでは,という期待はあっさりと裏切られる。淳美が描いた気味の悪いマンガと浩市の意識が交叉して,淳美の意識に変化が生じる,という展開の代わりに用意されているのは,かつて二人の間で共通の符号として意識されながら,ほとんど何の脈絡もなく実体化し,遂には二人を襲う首長竜のリアルな唐突感だけだ。
ここで言及した「つくりもの」感は,最初から画面全体を覆う不穏な仕掛けとして観客に示される。
これもまた何度か出てくる車の運転シーンにおいて,窓外の景色に使われるスクリーン・プロセスの不自然さ。
更には恋人の意識に入り込むための「センシング」という施術を行っている最中の,医療関係者(中谷美紀ら)のあまりにもぎこちない動き。
こうした意図的な演出が,あまりにもあからさま過ぎるため,終盤に用意されているどんでん返しで,実際に「そうだったのか!」と驚く観客は,出演者以外にはいないであろう。
恋人同士の絆も,後に浩市のトラウマとなった幼き日々に起きた事件の悲惨さも,離島を襲ったバブルに対する批判的な視点も,すべてが「リアル」とはほど遠い,中途半端な微温的描写に終始する。
アレンジに限界のある原作ものとは言え,「マタンゴ」や「モスラ」等,東宝お家芸の南国ホラー的要素のある素材なればこそ,黒沢清らしい突っ込んだアプローチを見せて欲しかった。
染谷将太の不穏な佇まいだけが,妙に瞼に残る。
★★☆
(★★★★★が最高)
しかし,硬直した「つくりもの」の画面が連続する展開が,ここから一気に転がり出すのでは,という期待はあっさりと裏切られる。淳美が描いた気味の悪いマンガと浩市の意識が交叉して,淳美の意識に変化が生じる,という展開の代わりに用意されているのは,かつて二人の間で共通の符号として意識されながら,ほとんど何の脈絡もなく実体化し,遂には二人を襲う首長竜のリアルな唐突感だけだ。
ここで言及した「つくりもの」感は,最初から画面全体を覆う不穏な仕掛けとして観客に示される。
これもまた何度か出てくる車の運転シーンにおいて,窓外の景色に使われるスクリーン・プロセスの不自然さ。
更には恋人の意識に入り込むための「センシング」という施術を行っている最中の,医療関係者(中谷美紀ら)のあまりにもぎこちない動き。
こうした意図的な演出が,あまりにもあからさま過ぎるため,終盤に用意されているどんでん返しで,実際に「そうだったのか!」と驚く観客は,出演者以外にはいないであろう。
恋人同士の絆も,後に浩市のトラウマとなった幼き日々に起きた事件の悲惨さも,離島を襲ったバブルに対する批判的な視点も,すべてが「リアル」とはほど遠い,中途半端な微温的描写に終始する。
アレンジに限界のある原作ものとは言え,「マタンゴ」や「モスラ」等,東宝お家芸の南国ホラー的要素のある素材なればこそ,黒沢清らしい突っ込んだアプローチを見せて欲しかった。
染谷将太の不穏な佇まいだけが,妙に瞼に残る。
★★☆
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