原田知世のカヴァー集の中でも取り上げられていた,太田裕美の往年のヒット曲「木綿のハンカチーフ」は,都会に出てきた青年が田舎に残してきた彼女との間に出来た距離を埋められずに別れを迎える,という悲恋をテーマにした佳曲だったが,「ブルックリン」は,すべてその逆を行く。田舎を出るのは男性ではなく女性の方であり,都会に出てきて実直な男性と出会い,やがて結婚する。姉の死をきっかけに故郷に戻って新たな恋をするが,ヒロインのエイリシュは最後に都会に残してきた夫を選ぶ。「木綿のハンカチーフ」の最後に流れる悲しい涙とは異なり,「ブルックリン」の幕切れには辛い決断を通過してきた彼女の体験によって温められた涙がとめどもなく流れ出す。
1950年代初めのニューヨーク。明るく柔らかな色調。大都会の喧噪に翻弄されながらも,デパートの売り子として懸命に生きる純真な少女。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが愛し合う二人を演じた「キャロル」にとてもよく似た仕立てではあるが,その感触はまったく異なる。画面の触感とは違って,終始ヒリヒリした皮膚感覚が支配的だった「キャロル」に比べると,一言で括ってしまうと「田舎から出てきた少女の迷走恋愛譚」である「ブルックリン」の方には,シンプルにヒロインを背中を押したくなる共感力のようなものが存在する。その核となる魅力は,やはりヒロインを演じるシアーシャ・ローナンの素晴らしさだろう。都会に対する虞と期待,都会に残してきた夫と故郷で新たに出会った男性。常にふたつの想いに引き裂かれながら,自分の人生を自らの判断で切り拓いていこうとするエイリシュを,まるで60年前にタイムスリップして体験してきたかのようなリアルさで演じるローナンは,既にして天才的だった9年前の「つぐない」からの更なる成長を見せて見事だ。
そんな少女の物語を引き立てる脇の役者陣も,ヒロインを見守る牧師役のジム・ブロードベントを筆頭に粒ぞろい。彼らをストーリーの要所要所に過不足なく配置して,巧みに物語を組み立てるジョン・クローリーの手際も冴えている。とりわけ,何度も出てくる,エイリシュが下宿するアパートでの食事シーンにおける,厳格な女主人と一見エイリシュとは一線を画そうとしながら,実は同じ都会に生きる女性としての同志愛を感じている下宿人たちとのやり取りは,タランティーノだったらどう撮るかなと想像を逞しくさせられる程楽しい。
エイリシュの振る舞いを断じようとする食料品店の女主人との対決シーンの迫力に「あっぱれ!」を。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
1950年代初めのニューヨーク。明るく柔らかな色調。大都会の喧噪に翻弄されながらも,デパートの売り子として懸命に生きる純真な少女。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが愛し合う二人を演じた「キャロル」にとてもよく似た仕立てではあるが,その感触はまったく異なる。画面の触感とは違って,終始ヒリヒリした皮膚感覚が支配的だった「キャロル」に比べると,一言で括ってしまうと「田舎から出てきた少女の迷走恋愛譚」である「ブルックリン」の方には,シンプルにヒロインを背中を押したくなる共感力のようなものが存在する。その核となる魅力は,やはりヒロインを演じるシアーシャ・ローナンの素晴らしさだろう。都会に対する虞と期待,都会に残してきた夫と故郷で新たに出会った男性。常にふたつの想いに引き裂かれながら,自分の人生を自らの判断で切り拓いていこうとするエイリシュを,まるで60年前にタイムスリップして体験してきたかのようなリアルさで演じるローナンは,既にして天才的だった9年前の「つぐない」からの更なる成長を見せて見事だ。
そんな少女の物語を引き立てる脇の役者陣も,ヒロインを見守る牧師役のジム・ブロードベントを筆頭に粒ぞろい。彼らをストーリーの要所要所に過不足なく配置して,巧みに物語を組み立てるジョン・クローリーの手際も冴えている。とりわけ,何度も出てくる,エイリシュが下宿するアパートでの食事シーンにおける,厳格な女主人と一見エイリシュとは一線を画そうとしながら,実は同じ都会に生きる女性としての同志愛を感じている下宿人たちとのやり取りは,タランティーノだったらどう撮るかなと想像を逞しくさせられる程楽しい。
エイリシュの振る舞いを断じようとする食料品店の女主人との対決シーンの迫力に「あっぱれ!」を。
★★★★☆
(★★★★★が最高)