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映画「アス」:絶賛されたデビュー作を凌ぐ傑作

ドッペルゲンガー。黒沢清も同名の作品を撮っているが,クローン人間も含めて,映画監督にとって「この世に自分がもう一人いる」という考えは,非常に魅力的なものなのだろう。アントニオーニの「さすらいの二人」やキェシロフスキの「ふたりのベロニカ」から,近年ではヴィルヌーヴの「複製された男」まで,シネアストと呼ばれる才人たちが好んで題材にしてきたのは,一つの画面の中に同じ人間が存在することの不可思議さを表現する媒体として,小説や舞台といったメディアよりも映画という表現方法が最も効果的だと彼らが感じてきたことの何よりの証左だろう。
監督としてのデビュー作「ゲット・アウト」が絶賛されたジョーダン・ピールがプレッシャーのかかる第2作に選んだのも,まさに「自分たちとまったく同じ人間」=「私たち」が,本当の「私たち」を殺しに来るという物語に不条理な魅力と底なしの恐怖を認めたからに違いない。果たしてその選択は,見事に吉と出た。ピールの新作「アス」は,デビュー作を上回るスケールと捻れた面白さで,「ゲット・アウト」にはやや半信半疑だった私をサンタクルーズの見世物小屋の床下に閉じ込めてしまった。

タイトルバックで映し出される「飼育された大量のうさぎ」,「Hands across the america」の不気味な映像,そして「It」のピエロが小屋から飛び出してきそうなペニー・アーケード。おぞましい伏線が次々と物語の中で恐怖の芽となって大きく成長していく様は,「ゲット・アウト」のメイドの涙を遥かに凌駕する圧力を有している。トランプ政権下の米国だけに留まらず世界共通の問題として噴出してきた貧富・格差の暗闇が,ルピタ・ニョンゴの巧みな演技でリアルに形を成していく様は,エンターテインメントの可能性をも押し拡げる高みに達している。

一方,玄関の前に佇む家族のドッペルゲンガーのシルエットで観客を恐怖のどん底に陥れながらも,ピールは残忍な暴力を見せまいとする親に向かって「今さら」と呆れる子供たちの反応や,警察への通報要請を曲名リクエストと解してしまうスマートスピーカーの頓珍漢ぶりなどのブラックな笑いを挟み込むことも忘れない。本物の芸人ならではの職人芸が冴え渡る。

地上の人間たちと繋がれるはずだった「テザード」たちが,虐げられたクローン人間同士として手を繋ぎ,やがてリアルな「Hands across the america」運動がなし得なかった「同士」による国土の横断を実現してしまうことを想起させる空撮ショットは,トランプの頑迷さに充分に対抗し得る。2作目のジンクスをいとも簡単に乗り越えてしまったピールに最敬礼だ。
★★★★★
(★★★★★が最高)
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