昨年ある会合で国内AI研究の第一人者と言われる方が,21世紀のシリコンヴァレーと呼ばれる今の深圳について「一度行ったくらいで知った気になってはいけない。毎年行かないとリアルな姿を捉えることは出来ない」と話しておられた。毎年行けと言われても,そもそも中国に足を踏み入れたこともない人間にとってはハードル高過ぎのリクエストだと思って聞き流していたのだが,「あなたの名前を呼べたなら」で何度も映し出される,主人公が住むマンションの屋上から見えるムンバイの景色は,今の深圳に近いのではないかと思われるようなヴァイタリティに満ち溢れている。
そんなまさに世界のビジネスシーンの最前線に躍り出ようとする街に咲いた,秘めたる想いを描いた本作は,「洗練」という言葉でしか表現できない,ロヘナ・ゲラの見事なデビュー作だ。
兄の死によって親が経営していた開発会社を継ぐこととなったアシュヴィンは,フィアンセの浮気が発覚したため,結婚式を中止して家に戻ってくる。家政婦として彼の世話を焼くラトナは,19歳で嫁いだものの夫が急死したため,ムンバイに出てきて働き,夫の実家に仕送りをしながらファッション・デザイナーとして独り立ちすることを夢見る毎日。傷心のアシュヴィンを慰めるうちに彼の心はラトナに傾いていくのだが,二人の間には身分の差という越えがたい壁が立ちはだかる。
一見,封建的な空気が支配的な昭和初期の日本を舞台にした古典的なラヴ・ストーリーのようにも見えるが,ゲラ監督の視点は身分制度の弊害や貧富の格差を声高に糾弾する方向に向いてはいない。ラトナは矛盾だらけの社会に対する怒りを胸の中に抱えはするものの,常に極めて現実的な対応を選択し続ける。雇い主であるアシュヴィンに対する気持ちも,同情と尊敬と憐憫,そして愛情の間で揺れ動いたまま,決して高いエントロピーを示すことはない。ラストシーンまで抑制的な態度を保ち続けるラトナ役のティロタマ・ショームの静かな演技は,決して語り過ぎない節度あるショットを積み重ねていくゲラ監督の姿勢に見事に寄り添っていく。ラトナが裁縫技術を学ぶために通う洋裁店の狭い二階は,まるで「マルコビッチの穴」に出てくる幻の部屋を想起させるし,ラトナが生地を求めて走り回るムンバイの雑然とした路地裏の景色も実にヴィヴィットだ。
けれども,本作の白眉は何と言っても鮮やかなラスト・シーンだろう。たった一言,人の名前を呼ぶ声が,ここまで胸を揺さぶる作品を他に知らない。
SPECIAL THANKSとして「セドリック・クラピッシュ」の名前があったが,洗練という点で,本作は極上のフランス映画に肩を並べる。インドはもう「タタ」と「ヨガ」の国ではなかった。
★★★★
(★★★★★が最高)
そんなまさに世界のビジネスシーンの最前線に躍り出ようとする街に咲いた,秘めたる想いを描いた本作は,「洗練」という言葉でしか表現できない,ロヘナ・ゲラの見事なデビュー作だ。
兄の死によって親が経営していた開発会社を継ぐこととなったアシュヴィンは,フィアンセの浮気が発覚したため,結婚式を中止して家に戻ってくる。家政婦として彼の世話を焼くラトナは,19歳で嫁いだものの夫が急死したため,ムンバイに出てきて働き,夫の実家に仕送りをしながらファッション・デザイナーとして独り立ちすることを夢見る毎日。傷心のアシュヴィンを慰めるうちに彼の心はラトナに傾いていくのだが,二人の間には身分の差という越えがたい壁が立ちはだかる。
一見,封建的な空気が支配的な昭和初期の日本を舞台にした古典的なラヴ・ストーリーのようにも見えるが,ゲラ監督の視点は身分制度の弊害や貧富の格差を声高に糾弾する方向に向いてはいない。ラトナは矛盾だらけの社会に対する怒りを胸の中に抱えはするものの,常に極めて現実的な対応を選択し続ける。雇い主であるアシュヴィンに対する気持ちも,同情と尊敬と憐憫,そして愛情の間で揺れ動いたまま,決して高いエントロピーを示すことはない。ラストシーンまで抑制的な態度を保ち続けるラトナ役のティロタマ・ショームの静かな演技は,決して語り過ぎない節度あるショットを積み重ねていくゲラ監督の姿勢に見事に寄り添っていく。ラトナが裁縫技術を学ぶために通う洋裁店の狭い二階は,まるで「マルコビッチの穴」に出てくる幻の部屋を想起させるし,ラトナが生地を求めて走り回るムンバイの雑然とした路地裏の景色も実にヴィヴィットだ。
けれども,本作の白眉は何と言っても鮮やかなラスト・シーンだろう。たった一言,人の名前を呼ぶ声が,ここまで胸を揺さぶる作品を他に知らない。
SPECIAL THANKSとして「セドリック・クラピッシュ」の名前があったが,洗練という点で,本作は極上のフランス映画に肩を並べる。インドはもう「タタ」と「ヨガ」の国ではなかった。
★★★★
(★★★★★が最高)