子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ニューヨーク 最高の訳あり物件」:「訳あり物件」であることは確かだが

2019年07月14日 08時52分52秒 | 映画(新作レヴュー)
アイヒマン裁判に関するひとりの哲学者のコミットを通じて,「考えること」の大切さを説いた「ハンナ・アーレント」は,2013年に日本でも大ヒットした。その後,「アイヒマンショー/歴史を写した男たち」や「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」など,アイヒマンを取り上げた作品が相次いで公開されたが,作品の評価はともかく「きまじめさ」という点では,圧倒的に「ハンナ・アーレント」に軍配が上がることは間違いない。そんな,小学校の教室に必ず一人はいたメガネをかけた学級委員長タイプの女の子の「その後」を想起させる作風で,見事ドイツ映画賞を制した監督のマルガレーテ・フォン・トロッタが次に挑んだのは,なんとニューヨークに生きるキャリア・ウーマンの生き方指南ムービーだった。

ファッション・ブランドを経営するジェイドは,スポンサーである夫から離婚を告げられ,高級アパートで傷心の日々を送る。そんな最中,夫の前妻を名乗るマリアという女がアパートの所有権を主張して居座ることになる。夫の元妻ということ以外,全てに正反対の二人の同居生活や,果たして如何に?と簡単に筋をまとめてみても,「ハンナ・アーレント」と共通する部分はどこにも見当たらない。前作で世界的な評価を得たことに安住せず新しいジャンルに挑戦する姿勢こそ,彼女が「ハンナ・アーレント」から学んだことなのだ,というメッセージだけは明確に伝わってくるけれど。

そんなきまじめな学級委員長の挑戦は,しかしなんとも残念な結果に終わってしまった。
筋を要約しただけで,基本線が「コメディ」であることは明確だ。映画を狭隘なジャンルに区分して無理矢理その枠内に押し込めるつもりは毛頭ないけれど,選択した物語が内包するトーンやリズムを尊重することは何より大切なことだ。ただでさえ忙しい仕事に加えて,離婚騒動とマリアの出現によってドツボにはまっていくジェイドの描写は,どう考えてもベースを「スラップスティック」に置くべきなのに,映画はフライヤーの惹句にある「女のライフスタイル・ムービー」に縛られてダイナミズムを獲得することが出来ないまま,カタルシスの欠片もないラストのショーに突入して,あっけなくエンドロールを迎える。ありゃりゃ。笑えるところ,どこにもないぞ?

チャレンジは大切だけれども,持って生まれた体質を見つめることもまた重要,ということを学べる,という意味では確かに「訳あり物件」かもしれない。
★★
(★★★★★が最高)


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