子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「リミッツ・オブ・コントロール」:携帯電話を捨て「想像力」の旅へ出よう

2009年10月05日 22時29分33秒 | 映画(新作レヴュー)
ジム・ジャームッシュ4年振りの新作は,スペインのマドリッドから,列車や車を使って徐々にひなびた田舎へと流れていく,ストイックな殺し屋の旅を描いた115分のロード・ムーヴィーだ。確かに存在するようでいて,実は定かではない目的に向かって,次々に起こる全てのことを受け容れながら動き続ける主人公の姿は,一見対極のように見えるジャームッシュのデビュー作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の3人の姿と,深いところで繋がっているように思える。

「自分のことを偉大だと思っている男を墓場に送れ」。映画の冒頭で,イザック・ド・バンコレ扮する主人公に対して,フランス人らしき二人組の男たちから指令が下る。このやり取りがあるため,観客はおそらく主人公の男が「殺し屋」なのだろうという予測は出来るのだが,それ以外にこの男に関する具体的な説明は一切なされない。

カフェではエスプレッソ・コーヒーを2杯頼み,仕事を遂行している最中は裸の女に添い寝をされながらも手は出さず,次々に現れては指示を書いた紙が入ったマッチ箱を交換していく協力者たちに質問をせず,その紙を読み終えると丸めて口に入れコーヒーで流し込む。
まるでどこかの役場のルーティン・ワークのように,場所を変えながら同じことを繰り返す男の所作を,ヘリコプターの羽音を背景にしてキャメラが切り取っていく。

果たして主人公はターゲットに辿り着けるのか。そして暗殺指令を完遂できるのか。
形の上では,一応サスペンス仕立てになってはいるが,ストーリー自体は映画を前に進めるための約束事に過ぎず,映画的な興奮はスペインの街角を往き来する主人公の姿そのものと,彼と協力者との会話を捉えた,まるで「コーヒー&シガレッツ」の続編のようなやり取りから立ち上ってくる。
唐突にヒッチコックに言及するティルダ・スウィントン,「宇宙には中心も端もない」と達観する工藤夕貴,そして偉大さのかけらも感じさせないターゲットのビル・マーレイ。主人公に倣い「想像力を使って」主人公が飲み込む紙の感触やエスプレッソの味に思いを巡らしながら,正に中心も端も持たない会話を反芻することは,この上もない映画的な贅沢だ。

スペインの都会のトム・ディチーロの撮影による「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のモノクロの画面が「静かな饒舌」という印象だったのに比べると,ウォン・カーウァイの相棒であるクリストファー・ドイルが捉えた瑞々しいスペインの色彩には「華麗なる静謐」という感触が色濃かった。
主人公が酒場でフラメンコの練習を見守るシーンには,これまでのジャームッシュ作品にはなかった,どこかデヴィッド・リンチに通じるような不気味で美しい妖気が満ちていた。この成熟の先には,何が待っているのだろうか。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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