子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「重力ピエロ」:吉高由里子の持つ浮力が,重力という強敵に立ち向かったのだが…

2009年10月01日 23時16分59秒 | 映画(新作レヴュー)
ボブ・ディランの「風に吹かれて」が物語のモチーフとして使われていた「アヒルと鴨のコインロッカー」とは打って変わって,「重力ピエロ」において小日向文世と鈴木京香の出会いのシーンで重要な役割を果たすのは,何と前衛ジャズの良心にして,ネネ・チェリーの父,ローランド・カークだった。
果たして,カークが創り出す不協和音が物語の鍵を握っていくのかと思いきや,当然そんなことはあるはずもなく,連続放火事件のヒントとなるDNAの構成塩基ATGCの思わせぶりな使い方と同様に,話の根幹部分には何の影響も与えずに静かに消えていく。そんな枝葉へのこだわりにこそ,本作の魅力があるのだと言われれば納得する部分もあるのだが,それにしては枝葉の緑に元気がない。「青葉城恋唄」のお膝元なのに。

人気作家伊坂幸太郎の原作を映画化した作品は,これまでに6作(!)あるらしいのだが,私が観たのは上記の中村義洋監督「アヒルと鴨のコインロッカー」に続いてこれが2作目。原作者が住む仙台が舞台という点以外でも,不条理な「絶対悪」に対峙する主人公が2人組の小市民という点,更にその2人がイケメンと地味な男のコンビという点で2作は共通しているが,死者に対する強い追慕の情が放つ,ウェットな感触もかなり似ている。

しかしこの湿り気がちょっと苦手な私にとっては,冒頭に記した本筋に絡む「枝葉」に面白さを見出せない今回のような場合,伊坂(映画化)作品に付き合うのはかなり厳しいチャレンジになってくる。
吐き気がするような「絶対悪」を飄々と演じた渡部篤郎の造形力はそれなりに評価できても,髪の毛が豊富な若き小日向文世はヴィジュアル的には特に魅力的ではなかったし,ガンジーの言葉を反芻する岡田将生も浮世離れした偏屈な若者にしか見えない。唯一画面を引き締めた吉高由里子のキュートな眼力も,ああも出番が少なくては,重力に抗して物語を浮上させることは出来なかった。

ただ私と伊坂作品との相性が全面的に悪いのかと問われれば,決してそうではないはず,と答えたい。巨大な国家権力が作り出した監視装置と罠に囲まれながらも,ひたすら「死」から逃走し続け,遂にはそれを成し遂げる若者を描いた「ゴールデン・スランバー」における生への渇望には,心を動かされたからだ。
三たび伊坂作品の映像化に挑戦する中村義洋のチャレンジを,刮目して待ちたい。
★★
(★★★★★が最高)


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