子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「gifted/ギフテッド」:「(500)日のサマー」のあの感動は一体何処へ?

2017年12月03日 19時08分47秒 | 映画(新作レヴュー)
ズーイー・デシャネルとジョゼフ・ゴードン=レヴィットという完璧なキャスティングと、マーク・ウェブの才気溢れる演出、二人の出会いのきっかけにザ・スミスを使う選曲のセンス等々を高く評価し、私は「(500)日のサマー」をその年のベストの1本に選んだ。同作で才能を認められたウェブが、ハリウッド大作の「アメイジング・スパイダーマン」の監督に抜擢されることとなったのは周知の事実。
そのウェブの新作が「gifted/ギフテッド」だ。そう彼は「(500)日のサマー」を愛する映画ファンの声に応えて「小さな映画」に戻って来たのだ。

メアリー(マッケナ・グレイス)は自殺した母の弟フランク(クリス・エヴァンス)に育てられていたのだが、学齢に達したため、嫌々ながら小学校に登校することになる。しかし彼女は小1にして二桁のかけ算を暗算で解いてしまうことは朝飯前、難解な微分方程式をもものする数学の天才だった。やがて彼女は、娘の祖母が仕掛けた養育・教育論争の只中に、その天賦の才能に気づいた担任教師や彼女のことを心配する心優しき隣人と共に巻き込まれていく。

マッケナ・グレイスの可愛らしさと巧さは、よくいる「達者な子役」というグループを遥かに超えた、特筆すべきレヴェルに達している。難問に挑戦し知らないことを覚える知的な歓びを求めつつ、成長に欠かせない子どもらしい体験や感情の発露の必要性との狭間で揺れ動く心を、美しく逞しく演じ切って見事だ。しかも前歯がないにも拘らず。

だがそんなグレイスの素晴らしさを、なぜかウェブは物語のど真ん中に据えない。特に後半は早世した姉の死とその母(娘の祖母)の確執が徐々に物語の中央に移動し始め、それに伴って大学教師だったというフランクの素性までもが割り込んでくることになる。展開が裁判劇の様相を呈していくにつれ、娘の孤独と苦悩が背景に退いていく展開は残念でならなかった。メアリーが庇ってやった結果、暴力沙汰にまで及ぶきっかけとなった工作上手な男の子との交流に関する描写は、どう考えても必要だったはず。

大作仕事においては、焦点を複数持たせることで重層感を醸し出す必要があったのかもしれないが、「(500)日のサマー」には確実に存在していた,繊細な感覚を捉えるセンサーを駆使したグリップ感は、ここでは完全に失われてしまっている。絶賛評が目に付くが,ここは敢えて「顔を洗って出直す」覚悟を,と苦言を呈したい。
★★☆
(★★★★★が最高)


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