子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「やわらかい手」:まぎれもないスター映画だ

2008年09月09日 23時18分17秒 | 映画(新作レヴュー)
これまでの人生で全く縁がなかった性産業に足を踏み入れることを躊躇いながらも,コーヒー・ショップで足を止め,「愛する人のためならば,私はどこまで出来るのか?」と自問する60代の主婦マギー(マリアンヌ・フェイスフル)を捉えたショットこそ,この映画の生命線となったはずだ。しかしこれが2作目だという監督のサム・ガルバルスキは,この大事なショットをあっさりと終わらせ,セックス・ショップに向かって歩を進めるマギーのショットに繋げて,淡々と話を進める。殊更にマギーの決心を強調することを避けるかのように。

その代わりにしたことは,映画の全編に亘って,小柄で(かなり?)小太りのマギーが,ハーフブーツと地味なコート姿で町を歩く姿を何度も何度も,執拗なまでに映し出すことだった。
歩き続け,仕事を続けることこそ今の私がすべきことならば,肘を壊し,上っ面だけで繋がった人間関係を失ってでも,私はそれをやり遂げる,というマギーの決心を表現するために監督が選択した方法は,全く正しかった。マギーの歩く姿は,並の俳優では出すことが叶わない味わいと輝きに満ちている。
そう,これは元アイドルで,ミック・ジャガーの愛人で,麻薬に溺れ,自殺未遂まで図ったという人生を歩んできた,撮影当時60歳の女優をど真ん中に据えたまぎれもないスター映画だったのだ。

オーストラリアで治療を受けない限り,命の保証が出来ないと診断された孫の渡航費用6,000ポンドを捻出するために,自らの「やわらかい手」を使う決心をした祖母の物語。
その「仕事」の描写はリアルで,彼女の息子が真相を知るエピソードも合わせると,いくらでも暗く悲しいトーンでシリアスに描写することは可能だったはずだ。
それを,そうはさせずに,温かい微笑みで包みこむようなタッチで統一したのは,ひとえにマリアンヌ・フェイスフルの包容力の大きさ故だった,と言えるだろう。初めての「仕事」を終えた瞬間に,彼女の顔に浮かぶ驚きと恥じらいと満足感の入り交じった表情が,この作品に関わる全ての要素を支配しているかのようだ。

冒頭で,マギーが職を探すために入る職業案内所の入り口に,ギターが並ぶ楽器店を配したところに,ミュージシャンとして「ブロークン・イングリッシュ」や「ストレンジ・ウェザー」といった佳作をものしてきた「歌手マリアンヌ・フェイスフル」への敬意があらわれているのが嬉しい。
「フルモンティ」と同様に,ここでも作品のキーとなる「やわらかい手」を表現する大事な場面で,イングランドの国技たるサッカーが巧みに使われており,私は腹を抱えて笑ってしまったのだが,アーセナルの監督であるアーセン・ベンゲルもこの場面では笑ったのではないかという気がする。多分,観てないとは思うけれども。


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