子供はかまってくれない

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映画「シング・ストリート」:女の子にモテる,を目指す不格好な格好良さ

2016年08月28日 11時06分16秒 | 映画(新作レヴュー)
ミュージック・ヴィデオのルーティンを題材にした岡崎体育の「MUSIC VIDEO」には,大笑いさせて貰った。実際にはそこで取り上げられている,決まり切った演出だけで構成されたプロモーション・ヴィデオは存在しないにも拘わらず,こうすればウケルはず,という作り手側の思い込みを整理してそれを曲にしてしまうというアイデアには脱帽した。
ミュージック・ヴィデオありきでバンドを結成しようとする若者たちを描いた,「はじまりのうた」に続くジョン・カーニー監督の「シング・ストリート」は,現在ならそんな批評に晒されてしまう紋切り型の演出が確立する以前の,ただただ「女の子にモテるため」に音楽に打ち込む若者だけが持ち得る,不格好な格好良さを描いた佳作だ。

しかしながら,舞台となった80年代前半をここに出てくる数多くの楽曲と共に過ごしたものにとっては,デュラン・デュランがヴィジュアルだけでなく音楽的にも時代の最先端を行っていた,という前提には納得がいかない。同じくヴィジュアル系として売り出しながら,音楽的な深化を遂げたのはJAPANの方でしょう,と突っ込みたくなる。
更に当たり前のことだが,「女の子にモテたい」=主人公と年上の美女とのラブロマンスが主要なプロットとなることによって,「はじまりのうた」よりもピュアな音楽衝動が引っ込んでしまった感は否めない。主人公と校長との対立と反駁に関するエピソードもやや紋切り型だ。

それでも「シング・ストリート」には,自分の奥底で煮え立つ音楽的な衝動を,その方法はよく分からないけれどもどうにかして形にしたい,という若者の想いが,右往左往しながら次第に像を結んでいくプロセスが克明に描かれている。主人公(フェルディア・ウォルシュ=リード)がジョン・キューザック似のバンド・リーダーとギターでメロディを紡いでいく場面,ホール&オーツの「マンイーター」を聴いた後に作った曲のリフが「マンイーター」のベースラインそっくりになってしまうプロット,更には「フィル・コリンズが好きな男に女は惚れない」という台詞で大人の男に対抗心を燃やす場面など,くすりとさせられながら,おじさんにもまだ残っていた柔らかい部分をくすぐるようなアプローチには,素直に白旗を揚げたい。

ロックにジャズのエッセンスを持ち込むことに成功したグループを引き合いに出して,「スティーリー・ダン気取りか?」という言葉でロック魂を強調するシーンもあるが,そこでも私は思わず謝ってしまった。「はい,気取ってました」。
神話的な神々しささえ漂うラストシーンの余韻も含めて,こんなエピソードに反応できる世代にも勧めたい。
★★★★
(★★★★★が最高)


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