子供はかまってくれない

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映画「ストーリー・オブ・マイ・ライフ 私の若草物語」:矛盾は承知で「モダンな古典」と呼びたい傑作

2020年06月28日 17時39分58秒 | 映画(新作レヴュー)
「フランシス・ハ」や「20センチュリー・ウーマン」でのエッジの効いた演技が印象深かったグレタ・ガーウィグが,脚本を書き自らメガホンを取った「レディ・バード」は,私が密かに「21世紀のメリル・ストリープ」と呼んでいるシアーシャ・ローナンの陰影の深い演技の助けを得て,見事な監督デビュー作となった。一見,パートナーであるノア・バームバックの作風と似ているように見えて,展開や編集のリズム感や軽やかさにおいてノアとは異なる世界を確立していたそんな彼女の監督第2作が, これまで何度も映画化されてきたオルコット原作の「若草物語」と聞いたときには「何故?」と訝った。新しい時代の旗手に相応しいフレッシュな題材は他にもあるはず,と軽率にも断じてしまったのだが,予想は嬉しい方に大きく外れた。ガーウィグ版四姉妹のホームドラマは,時代を超越した永遠のテーマを,ユニークなフレームに入れ直すことによってまったく新しい息吹を吹き込まれ,「モダンな古典」として甦った。内包しているエネルギーの水準は,間違いなくノアの「マリッジ・ストーリー」に拮抗している。

ここで言及した「永遠のテーマ」とは,女性の自由に関する考え方と経済力の関係であり,「ユニークなフレーム」とはガーウィグが担当した時系列をバラバラにした脚本の構成力を指す。
主役のマーチ家が困窮した隣家を助け,それにより食料を使い果たしたマーチ家に,今度は富裕な別の隣家が救いの手をさしのべる一連のシークエンスは,あからさまな描写こそないものの「AMRICA FIRST」というスローガンの下にCOVID-19が露わにした経済格差を放置し続けるトランプ政権に対する強い意志が顔を覗かせる。独身の叔母(前世紀のメリル・ストリープ本人!)が「私は独身だから結婚しなくても良いの」と,結婚よりも経済的な自立を望むジョー(シアーシャ・ローナン)に向かって語るシーンは,前々世紀から続く経済と結婚の関係を象徴的に炙り出す。

またシナリオにおいてほとんどシークエンス毎に現在と過去を往き来する跳躍力と,それを可能にした役者の演技力と衣装の工夫には特筆すべきものがある。
ハイライトは,ジョーのように才能には恵まれないものの,一人の人間として自立する姉を尊敬しつつ近親憎悪するエイミー役のフローレンス・ピューが,ジョーとぶつかるシーンだ。「ミッドサマー」で突如として私の前に現れた新星は,大化けの予感を感じさせつつ,ローナンに一歩も引かぬ重量感を醸し出して見事だ。

COVID-19の影響で公開が大幅に延期されたが,公開週から新作の中ではNO.1の興行収入を出しているというニュースは嬉しかった。「MARVEL作品は映画ではない。それによって劇場が占拠され,バームバックやガーウィグ,P.T.アンダーソンらの作品が閉め出されてしまうからだ」という発言で波紋を呼んだスコセッシにこそ,このニュースを届けたい。
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