モス・デフ扮するチャック・ベリーが,コンサート会場で彼のことを白人カントリー歌手だとばかり思っていた関係者に,身分証明書の提出を求められた上で門前払いされてしまうエピソードが,この作品の内容とムードを象徴している。
白人と黒人,ブルーズと(カントリーやサーフィン・ミュージック等の)ポップ・ミュージック,名誉と金。せめぎ合う二つの世界の境界に生まれたアメリカ社会のダイナミズムが,レコード盤のように輝きながら回転している。
実在のレナード・チェスは1969年まで生きていたため,映画の後半でエルヴィス・プレスリーが登場し,ロックンロールの幕が開くことによって,マディ・ウォーターズを代表とする旧世代が売れなくなり,それがレコード会社(チェス・レコード)を売却せざるを得ない状況に繋がっていった,という映画の展開と現実の間には若干のタイムラグがあるのだが,マイナーなレコード会社を舞台にロックンロール誕生前夜の狂騒を象徴的に描いた大河ドラマとして,見応えは充分だ。
大統領の就任パーティーでオバマ大統領がミシェル夫人と踊った曲,エタ・ジェイムズのヒット曲「At Last」を歌ったビヨンセが,エタを演じることに注目が集まっていたが,物語の基幹となるエピソードはマディ(ジェフリー・ライト)とチェス(エイドリアン・ブロディ)の関係だ。何気なく愛聴してきたマディの傑作の数々が,この二人の間に存在した,人種と金に関する信頼と猜疑心の交差の果てに生まれた「戦友の絆」の産物だったという事実は,マディの曲名からグループ名を取った「ザ・ローリング・ストーンズ」の面々ならずともずしりと重い。そんな二人を,どちらかというと「ガッツリ入れ込む」派のライトとブロディが,共に六分目くらいの力具合で演じることによって,活き活きと甦らせた功績は大きい。
更に二人に絡む「歴史上の人物」達のキャスティングと各々の造形力も素晴らしい。前述したモス・デフと伝説のソングライター「ウィーリー・ディクソン」に扮したセドリック・ジ・エンターティナーは,実物に「似ている」以上の付加価値をもたらし,プロデューサーも兼ねたビヨンセ・ノウルズはエタへのシンパシーを踏み台にして,絶賛された「ドリーム・ガールズ」の時以上に「女優」になりきっている。
また少ない出番にも拘わらず,鋭い視線と独特の声で画面をさらってしまった「ハウリン・ウルフ」役のイーモン・ウォーカーは,その迫力によって,これからスクリーンであの怖い顔を拝む機会が増えることは確実だ。
数多くの登場人物をクールな編集感覚でスピーディーに捌き,音楽アーティスト系の映画にありがちな,薬と金とセックスにまみれた暴露ものとは明確な一線を引いて,レコード会社の盛衰に50年代のアメリカ社会を重ねて見せたのは,脚本も担当した新鋭監督のダーネル・マーティン。だが「ドリーム・ガールズ」がやや冗長に思えてくるくらいの出来に仕上った要因の中には,プロデューサーを兼ねたビヨンセの思い入れが果たした役割も相当にあったはず。成し遂げた仕事に彼女は胸を張るべきとは思うが,逆にこれから音楽と映画のどちらに軸足を置くべきか,悩む結果になったかもしれない。
★★★☆
白人と黒人,ブルーズと(カントリーやサーフィン・ミュージック等の)ポップ・ミュージック,名誉と金。せめぎ合う二つの世界の境界に生まれたアメリカ社会のダイナミズムが,レコード盤のように輝きながら回転している。
実在のレナード・チェスは1969年まで生きていたため,映画の後半でエルヴィス・プレスリーが登場し,ロックンロールの幕が開くことによって,マディ・ウォーターズを代表とする旧世代が売れなくなり,それがレコード会社(チェス・レコード)を売却せざるを得ない状況に繋がっていった,という映画の展開と現実の間には若干のタイムラグがあるのだが,マイナーなレコード会社を舞台にロックンロール誕生前夜の狂騒を象徴的に描いた大河ドラマとして,見応えは充分だ。
大統領の就任パーティーでオバマ大統領がミシェル夫人と踊った曲,エタ・ジェイムズのヒット曲「At Last」を歌ったビヨンセが,エタを演じることに注目が集まっていたが,物語の基幹となるエピソードはマディ(ジェフリー・ライト)とチェス(エイドリアン・ブロディ)の関係だ。何気なく愛聴してきたマディの傑作の数々が,この二人の間に存在した,人種と金に関する信頼と猜疑心の交差の果てに生まれた「戦友の絆」の産物だったという事実は,マディの曲名からグループ名を取った「ザ・ローリング・ストーンズ」の面々ならずともずしりと重い。そんな二人を,どちらかというと「ガッツリ入れ込む」派のライトとブロディが,共に六分目くらいの力具合で演じることによって,活き活きと甦らせた功績は大きい。
更に二人に絡む「歴史上の人物」達のキャスティングと各々の造形力も素晴らしい。前述したモス・デフと伝説のソングライター「ウィーリー・ディクソン」に扮したセドリック・ジ・エンターティナーは,実物に「似ている」以上の付加価値をもたらし,プロデューサーも兼ねたビヨンセ・ノウルズはエタへのシンパシーを踏み台にして,絶賛された「ドリーム・ガールズ」の時以上に「女優」になりきっている。
また少ない出番にも拘わらず,鋭い視線と独特の声で画面をさらってしまった「ハウリン・ウルフ」役のイーモン・ウォーカーは,その迫力によって,これからスクリーンであの怖い顔を拝む機会が増えることは確実だ。
数多くの登場人物をクールな編集感覚でスピーディーに捌き,音楽アーティスト系の映画にありがちな,薬と金とセックスにまみれた暴露ものとは明確な一線を引いて,レコード会社の盛衰に50年代のアメリカ社会を重ねて見せたのは,脚本も担当した新鋭監督のダーネル・マーティン。だが「ドリーム・ガールズ」がやや冗長に思えてくるくらいの出来に仕上った要因の中には,プロデューサーを兼ねたビヨンセの思い入れが果たした役割も相当にあったはず。成し遂げた仕事に彼女は胸を張るべきとは思うが,逆にこれから音楽と映画のどちらに軸足を置くべきか,悩む結果になったかもしれない。
★★★☆