子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「ブンミおじさんの森」:素晴らしき「生死の境界があいまいな森」ツアー
死期が迫った男の元に,死んだ妻の霊が訪れて,優しく世話を焼く。行方不明になっていた息子も,全身を毛で覆われた猿のような姿になって現れるのだが,その姿を見た叔母は「随分と毛深くなって…」と言いつつ,その帰還を喜ぶ。
絶えることのない微かな葉擦れの音は,やがて心臓の鼓動とシンクロし,静かな森に行き交う生者と死者の眼差しが,観るものを優しく包み込む。ついに男に死が訪れた時,残された生者は森を離れてもなお,現実と虚構の境界を自在に行き来することとなる。
本作品を撮るまで実験性の強い映像作品を発表してきたというアピチャッポン・ウィーラセタクンが監督し,昨年のカンヌ映画祭でタイ映画として初めてパルムドール(最高賞)を獲得した「ブンミおじさんの森」を観たものは,生死の境界があいまいな場所を彷徨う,114分間のツアーを体験することになる。
おそらく西洋人にとっては違和感の方が強いのではないかと思われる,死者との共棲というファンタジックな物語を,淡々と,しかし強靱な映像で綴った手腕は,間違いなくその賞に値するものだ。
どのショットにおいても,光は(特に夜間撮影において)必要最小限の量に抑えられるとともに,カメラは殆ど動くことがない。その動かないフレームの中で役者は,計算とは縁遠い素朴さと,そこはかとないユーモアを滲み出させながら,観客に替わって森の空気を呼吸する。音楽だけは時にモダンな香りを放っているように感じるが,被写体を急かすことはなく,饒舌になることもない。
こうしたいくつもの技術的な個性を束ねて,まるで多くの人々が共有する一つの夢のように語られる物語は,結果的に宮崎駿が森を題材として長年描いてきた物語の,影の部分を担っているようにも見える。
巨額の予算とスターの出演を前提としながらも,常に大ヒットを求められる立場に置かれてしまったティム・バートン(昨年の審査委員長)にとっては,こんな作品を自由に撮り上げるという行為自体が,理想的なファンタジーと感じられたのかもしれない。などと,少ししみじみしながら,森の中の赤く光る眼を求めて,ゆっくりと森に入ろう。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
絶えることのない微かな葉擦れの音は,やがて心臓の鼓動とシンクロし,静かな森に行き交う生者と死者の眼差しが,観るものを優しく包み込む。ついに男に死が訪れた時,残された生者は森を離れてもなお,現実と虚構の境界を自在に行き来することとなる。
本作品を撮るまで実験性の強い映像作品を発表してきたというアピチャッポン・ウィーラセタクンが監督し,昨年のカンヌ映画祭でタイ映画として初めてパルムドール(最高賞)を獲得した「ブンミおじさんの森」を観たものは,生死の境界があいまいな場所を彷徨う,114分間のツアーを体験することになる。
おそらく西洋人にとっては違和感の方が強いのではないかと思われる,死者との共棲というファンタジックな物語を,淡々と,しかし強靱な映像で綴った手腕は,間違いなくその賞に値するものだ。
どのショットにおいても,光は(特に夜間撮影において)必要最小限の量に抑えられるとともに,カメラは殆ど動くことがない。その動かないフレームの中で役者は,計算とは縁遠い素朴さと,そこはかとないユーモアを滲み出させながら,観客に替わって森の空気を呼吸する。音楽だけは時にモダンな香りを放っているように感じるが,被写体を急かすことはなく,饒舌になることもない。
こうしたいくつもの技術的な個性を束ねて,まるで多くの人々が共有する一つの夢のように語られる物語は,結果的に宮崎駿が森を題材として長年描いてきた物語の,影の部分を担っているようにも見える。
巨額の予算とスターの出演を前提としながらも,常に大ヒットを求められる立場に置かれてしまったティム・バートン(昨年の審査委員長)にとっては,こんな作品を自由に撮り上げるという行為自体が,理想的なファンタジーと感じられたのかもしれない。などと,少ししみじみしながら,森の中の赤く光る眼を求めて,ゆっくりと森に入ろう。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
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