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映画「ハイドリヒを撃て『ナチの野獣』暗殺作戦」:終戦記念日にやっていた戦争物は今いずこ

2017年08月27日 15時40分05秒 | 映画(新作レヴュー)
ここ数年の間に立て続けに公開された「アドルフ・アイヒマン」関連の作品は,そのどれもが正しい歴史認識を常に確認し続けることで,二度と同じ過ちは犯さない,という意志が強く感じられる佳品ばかりだった。
そのアイヒマンの上司だったラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件を描いたショーン・エリスの「ハイドリヒを撃て」もまた,そういった作品列に連なる真摯な作品と言える。映画の後半,ハイドリヒ襲撃犯の一団が立て籠もった教会で延々と繰り広げられる銃撃戦の凄まじさは,戦後のナチス追求ものとは異なるアプローチで,戦争とそれを起こした人間の愚かさと同時にそれに抗した人間の崇高さを,ヒリヒリした皮膚感覚で炙り出している。

イギリスと亡命チェコ政府が共同して計画し「エンスラポイド作戦」と呼ばれたハイドリヒの暗殺計画を取り上げた本作だが,上映時間の後半部分は暗殺に対するナチの残虐な報復・粛正に費やされる。
それは暗殺の実行指令に対して,現場では「指導者を殺してもまた次の人間が送り込まれるだけ」「大規模な報復が行われる」等々の意見が支配的だったにも拘わらず,結局現場から遠く離れたロンドンの指令が優先された歴史の非情を改めて検証したい,というエリスの意図でもあったろう。それでもなお作戦を遂行した判断は,結局青酸カリによる反ナチ部隊の自害や上述した銃撃戦は勿論,プラハ市民の大量虐殺という悲惨な結末に帰着する。
組織の目的遂行と個人の生命を計量した上で為された命令を愚直に実行する人間の姿は,直視することに膨大なエネルギーを要するほどに悲惨だ。

監督・脚本のショーン・エリスは自らカメラマンも兼ねるにあたって,当時のプラハの空気感を再現する手段として16㎜フィルムの触感を選択した。銃撃戦において銃弾が降り注いだ壁の破片が飛び散るリアルさも凄かったが,特にハイドリヒの出勤時を狙った暗殺時の緊張感は,ただごとではなかった。
俳優ではキリアン・マーフィーがケン・ローチの「麦の穂を揺らす風」を思い起こさせるような演技で,全編を覆う緊張感の発信源として見事に機能している。

SNSでは,どうやらそのマーフィーの相棒を演じる「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のジェイミー・ドーナン推しの女性が話題にしているらしいのだが,こんな重層的かつ内省的な作品に一人でも多くの若者が触れるきっかけは,何であれ大歓迎だ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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