子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「おくりびと」:いずれ来る葬儀には,敬意と笑顔とプロの手捌きを。
白一色の雪景色の中を画面の手前に向かって走ってくる車。コーエン兄弟の傑作「ファーゴ」と見紛うようなオープニングで始まる滝田洋二郎監督の「おくりびと」は,働くことの根源的な意味と倫理観を扱いながら,生命の終焉と尊厳を感動的に浮かび上がらせた力作だ。納棺師を演じる主役二人の所作の美しさは勿論のこと,吉行和子と笹野高史を始めとする傍役の堅実な演技,どんな場面でも小さなユーモアを湛えることで,「死」が纏うエッジを柔らかく包みこんだ脚本と演出は,特筆すべき水準に達している。
モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得し,聞こえてくる世評も絶賛一色の話題作。ピンク映画から出発し,1986年に「コミック雑誌なんかいらない!」で「一般映画」の第一線に躍り出た滝田洋二郎監督は,アカデミー外国語映画賞への出品も含めて,監督歴27年に対する勲章授与とも言える世間の対応に,稔りの秋を実感していることだろう。
映画制作のきっかけは,主演の本木雅弘が旧知のプロデューサーに「納棺師」の話を映画化したい,と持ちかけたことだったとのこと。一見際物に思える題材ながら,周防正行監督の「ファンシィダンス」と「シコ踏んじゃった」という,本木雅弘を銀幕のスターへと押し上げた2本の「異次元」体験映画を考えれば,彼にとってはむしろ自然な流れだったのかもしれない。
ここでも師匠役の山崎努共々,役に選ばれた,と言えるような見事な演技を見せている。
数多くの「死体」がNKエージェントによって扱われるが,亡き妻の葬儀に遅参してきた二人(山崎と本木)を罵倒した山田辰夫が,生前時以上に美しい化粧を施された妻を見て,感謝の印として二人に新聞紙に包んだ干し柿を渡し,それを二人が車の中で食べるシーンが感動的だ。
この場面を筆頭に,食べるシーンが何度も出てくるが,他の「生命」を戴くことで自らの命をつながなければならない生き物の宿命を凝縮した「これが美味いんだよ,困ったことに」という山崎の台詞には,ずしりと重い手応えがある。
息子の進言を聞かずに,死ぬ直前まで公衆浴場の仕事をして亡くなった吉行和子の手に残ったあかぎれを写したショットも美しいが,やはり妻と娘と孫娘にキスをされて,口紅だらけになったおじいちゃんの顔を,みんなが泣きながら笑って覗き込む短いエピソードが最高だ。娘がいない私には,望み得ないフィナーレというのが残念だけれども。
こんな風に死を等身大で扱い,格調高く,笑えて泣ける作品ではあるが,手放しで絶賛するには,若干躊躇われる部分もある。
2時間10分という上映時間だが,中盤に,少し刈り込んだ方が締まると思われるシークエンスがある。
更に,主人公が野外でチェロを弾くショットを挟みながら,先の口紅のエピソードに代表される,いくつかの仕事を見せるカットバックがあるのだが,野外でチェロを弾く本木をレールカメラで捉えたショットは,どう見ても作り過ぎという印象を与えてしまっている。
「作り過ぎ」という意味で決定的なのは,NKエージェントの三人(主役の二人と事務員役の余貴美子)がささやかなクリスマスパーティーを催し,余興で本木がチェロを弾くシーン。チキンにかぶりつく3人の逞しい生命力を写した後,厳かに奏でられるチェロに,伴奏まで付けてしまったのは何故なのか。
それでも,ラストで本木が父親(これが遺作となった峰岸徹)と「再会」を果たす場面で,ゆっくりと父親の顔にフォーカスが合っていくショットには,「仕掛け」を超えた純粋な喜びが満ちていた。
死体役が顔をしかめる納棺の儀式を収めたヴィデオが,もしスピンオフ企画として本当に出てしまったら,借りて観てしまうかもと考えながら帰る晩秋の夜は,少しだけ暖かかった。
モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得し,聞こえてくる世評も絶賛一色の話題作。ピンク映画から出発し,1986年に「コミック雑誌なんかいらない!」で「一般映画」の第一線に躍り出た滝田洋二郎監督は,アカデミー外国語映画賞への出品も含めて,監督歴27年に対する勲章授与とも言える世間の対応に,稔りの秋を実感していることだろう。
映画制作のきっかけは,主演の本木雅弘が旧知のプロデューサーに「納棺師」の話を映画化したい,と持ちかけたことだったとのこと。一見際物に思える題材ながら,周防正行監督の「ファンシィダンス」と「シコ踏んじゃった」という,本木雅弘を銀幕のスターへと押し上げた2本の「異次元」体験映画を考えれば,彼にとってはむしろ自然な流れだったのかもしれない。
ここでも師匠役の山崎努共々,役に選ばれた,と言えるような見事な演技を見せている。
数多くの「死体」がNKエージェントによって扱われるが,亡き妻の葬儀に遅参してきた二人(山崎と本木)を罵倒した山田辰夫が,生前時以上に美しい化粧を施された妻を見て,感謝の印として二人に新聞紙に包んだ干し柿を渡し,それを二人が車の中で食べるシーンが感動的だ。
この場面を筆頭に,食べるシーンが何度も出てくるが,他の「生命」を戴くことで自らの命をつながなければならない生き物の宿命を凝縮した「これが美味いんだよ,困ったことに」という山崎の台詞には,ずしりと重い手応えがある。
息子の進言を聞かずに,死ぬ直前まで公衆浴場の仕事をして亡くなった吉行和子の手に残ったあかぎれを写したショットも美しいが,やはり妻と娘と孫娘にキスをされて,口紅だらけになったおじいちゃんの顔を,みんなが泣きながら笑って覗き込む短いエピソードが最高だ。娘がいない私には,望み得ないフィナーレというのが残念だけれども。
こんな風に死を等身大で扱い,格調高く,笑えて泣ける作品ではあるが,手放しで絶賛するには,若干躊躇われる部分もある。
2時間10分という上映時間だが,中盤に,少し刈り込んだ方が締まると思われるシークエンスがある。
更に,主人公が野外でチェロを弾くショットを挟みながら,先の口紅のエピソードに代表される,いくつかの仕事を見せるカットバックがあるのだが,野外でチェロを弾く本木をレールカメラで捉えたショットは,どう見ても作り過ぎという印象を与えてしまっている。
「作り過ぎ」という意味で決定的なのは,NKエージェントの三人(主役の二人と事務員役の余貴美子)がささやかなクリスマスパーティーを催し,余興で本木がチェロを弾くシーン。チキンにかぶりつく3人の逞しい生命力を写した後,厳かに奏でられるチェロに,伴奏まで付けてしまったのは何故なのか。
それでも,ラストで本木が父親(これが遺作となった峰岸徹)と「再会」を果たす場面で,ゆっくりと父親の顔にフォーカスが合っていくショットには,「仕掛け」を超えた純粋な喜びが満ちていた。
死体役が顔をしかめる納棺の儀式を収めたヴィデオが,もしスピンオフ企画として本当に出てしまったら,借りて観てしまうかもと考えながら帰る晩秋の夜は,少しだけ暖かかった。
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