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映画「エリジウム」:早くも守りに入るのかぁ

出身地である南アフリカの人種差別を,SFのフォーマットで描いた「第9地区」で鮮烈なメジャー・デビューを果たしたニール・ブロムカンプ監督の新作は,マット・デイモン,ジョディ・フォスターという大看板を揃えた大作だ。
荒廃が進み貧困層が住む地球に,どんな病気をも治療する再生装置を備えた「エリジウム」と呼ばれるスペース・コロニーを対置し,アクションを主軸に据えながら貧富の格差を「第9地区」と同様に差別の問題へと敷衍しようとするブロムカンプの方向性は,逞しくエネルギーに溢れている。

人々が夢に見る「不死」を実現した究極の楽園とも言えるエリジウムと,主人公が住む地球の描写の対比は実に鮮やかで,前作のヒットに伴う予算の増額に見合った効果は充分に出ている。
富裕層の支配欲を体現したようなフォスターの貫禄も充分で,敵役としての重みは,同様の役を数多くこなしてきたシガニー・ウィーヴァーにも見劣りしない。

だが,指向するところは前作とそれほどの違いはないにも拘わらず,作品から受ける手応えは弱まっている。
理由の一つは,エリジウムへの侵入を試みる主人公(マット・デイモン)の闘いが,アクション色を強めるためからなのか,途中から権力者(フォスター)への挑戦という色合いが薄まってしまった点だろう。
フォスターが雇った殺し屋対主人公という,一種の代理戦争でも充分に意図は伝わると考えたのかもしれないが,舞台の仕掛けの大きさと映像的な工夫に比べて,物語の主軸がやせ細ってしまったことは否めない。

更に前作にあった独特の諧謔に満ちた味わいが完全に失われている点も大きい。前作に深みを与えていた「差別する側とされる側を分ける境界の曖昧さによって浮き彫りになる,価値観の脆弱性」のようなものが感じられなくなり,「勝った,負けた,のハリウッド・ワールド」の会員になった分,損なわれたものも大きい。
次作では「汚れた現実とクリーンな楽園」を映画的に表現するプロダクションの高さを保持したまま,価値観を揺さぶるような物語に戻ってきて欲しい。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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