子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「その手に触れるまで」:現実にコミットし続けるダルデンヌ兄弟の覚悟

2020年07月26日 19時38分43秒 | 映画(新作レヴュー)
トルコのイスタンブールにある世界遺産のアヤソフィアが,イスラム教のモスクとなってから初めての集団礼拝が24日に行われた。エルドアン大統領が下した決断により,86年振りに博物館からモスクに変更されたことに対しては,国内の野党のみならず,ギリシアをはじめとするヨーロッパ各国からも様々な意見が寄せられているという。そんなニュースの受け止めも,所によってはイスラム教信者が多数派となっている町もあるヨーロッパと,ハラルを出す店や,空港に礼拝所が出来たことがニュースになる日本とでは,大きく異なっているのだろうという予想は付くのだが,そこで止まってしまう私にとって「その手に触れるまで」は,いろんな意味で重い。
一貫して過酷な現実に押し潰されそうになる弱者の視点から物語を綴ってきたジャン・ピエール&リュック=ダルデンヌ兄弟の最新作は,ベルギーの中でもイスラム教が住民の多数派を締める地区のあるブリュッセルに生きるムスリムの若者を主人公に据えた秀作だ。

イスラム教を信ずる13歳の少年アメッドは,アラビア語をコーランからだけではなく歌も使って覚えさせようとする教師に反発し,殺意を抱いたあげく,犯行を実行に移す。直前に凶行を察知した教師が逃げたことで犯行に失敗し,捕らえられて感化院に収容されたアメッドは,牧場での作業を通じて順調に更正の道を歩んでいくように見えたが,為すべきことをやり遂げることこそが信仰の成就と信じる心を密かに燃やし続けていたアメッドは,脱走して再び教師の元へ向かう。

冒頭から緊迫感溢れる描写が続く。アメッドが凶器を携えて教師の元を訪れる一連のショットや,犯行を犯したアメッドが教師と再び面会を果たそうとするシーン,そして絶望の中に一縷の希望が宿るラスト。どのシークエンスもダルデンヌ兄弟のカメラは,的確なバストショットを淡々と繋ぐ,といういつものやり方ながら,サスペンスを盛り上げるべくあらゆるテクニックを駆使したアクション映画のダイナミズムとは異なる種類の強度を持った緊張感で観客に迫る。

普通の家庭に育ったアメッドが母親よりも導師を信じ,孤立していく姿に宿るのは,宗教に限らず社会的な少数派に共通する悲愴感だ。彼の原動力となっている少数派故の使命感と,アメッドがラストで呟く生への渇望の両方を,社会にとって望ましい方向に持っていくためにはどうすれば良いのか。ダルデンヌ兄弟の問いの鋒は強く鋭い。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。