子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「アメリカン・アニマルズ」:実録ものの概念をひっくり返す笑いのパワー
実際にあった犯罪を,忠実に再現した作品は数々あれど,犯人を筆頭にその犯罪に巻き込まれた人々が画面に登場してきて,事件に関する自分の意見や感想を述べる。再現ものとしては,その構成自体が画期的とは言えないにも拘わらず,ドキュメンタリー映画出身だというバート・レイトン監督の「アメリカン・アニマルズ」は,何層にも折り畳まれた青春に対する悔悟の熱量とばかばかしい程のエネルギーによって,観客を金縛りにする。青春犯罪映画(そんなジャンルがあればの話だが)の金字塔だ。
トランシルヴァニア大学図書館に収蔵され,その価値は1,200万ドルと言われるジョン・ジェームズ・オーデュポンの画集「アメリカの鳥類」。ガラスケースに入ってはいるものの,管理しているのは高齢の女性司書ただひとり。それを盗めば平凡な人生を変えることが出来る。そう信じたおバカな大学生が過去の犯罪映画を参考に強盗計画を練り,逡巡しながらも遂には実行し,あっと言う間に捕まる。
犯罪が失敗に終わることは最初から明かされているため,犯罪映画に欠くことの出来ない,成功するか否かという緊張感はどこにも存在しない。その代わりに作品を支配するのは,実際に犯行に及んだ「本人」の「今振り返ればバカなことだったけれども」という条件付きの心理分析だ。そしてそれがこの上もなく単純であり,4人もメンバーがいながら誰一人その危険性を省みることなく犯罪になだれ込んでいく奇跡的な偶然故に,最高に笑えた後に,切ない思いがこみ上げてくる。
とにかく冒頭で執拗に描かれる彼らの変装からして,終わっている。あれで絵画の専門家や資産家の画商だと思わせることが出来ると信じた時点で,既に冷静ではなくなっていることは明白なのだが,脱出口の構造も調べず,衆人環視の中,必死に逃走を図る彼らの姿は,滑稽を通り越してもはや「はじめてのおつかい」の子供状態と化す。カルテットの要となって物語を動かすバリー・コーガンが,「聖なる鹿殺し」の時とはまた異なる空気感を醸し出して見事だ。
彼らが盗もうとしたオーデュポンの絵は,伊藤若冲のニワトリに対抗するかのように精細な細部の集成であることが,実際に縛られた高齢の司書が事件を振り返って最後に冷静に口にする「彼らは知識や経験を積み上げていくことを放棄した」旨の述懐と見事に呼応する。
青春真っ只中の方も,司書の側に立つ人も,必見。
★★★★★
(★★★★★が最高)
トランシルヴァニア大学図書館に収蔵され,その価値は1,200万ドルと言われるジョン・ジェームズ・オーデュポンの画集「アメリカの鳥類」。ガラスケースに入ってはいるものの,管理しているのは高齢の女性司書ただひとり。それを盗めば平凡な人生を変えることが出来る。そう信じたおバカな大学生が過去の犯罪映画を参考に強盗計画を練り,逡巡しながらも遂には実行し,あっと言う間に捕まる。
犯罪が失敗に終わることは最初から明かされているため,犯罪映画に欠くことの出来ない,成功するか否かという緊張感はどこにも存在しない。その代わりに作品を支配するのは,実際に犯行に及んだ「本人」の「今振り返ればバカなことだったけれども」という条件付きの心理分析だ。そしてそれがこの上もなく単純であり,4人もメンバーがいながら誰一人その危険性を省みることなく犯罪になだれ込んでいく奇跡的な偶然故に,最高に笑えた後に,切ない思いがこみ上げてくる。
とにかく冒頭で執拗に描かれる彼らの変装からして,終わっている。あれで絵画の専門家や資産家の画商だと思わせることが出来ると信じた時点で,既に冷静ではなくなっていることは明白なのだが,脱出口の構造も調べず,衆人環視の中,必死に逃走を図る彼らの姿は,滑稽を通り越してもはや「はじめてのおつかい」の子供状態と化す。カルテットの要となって物語を動かすバリー・コーガンが,「聖なる鹿殺し」の時とはまた異なる空気感を醸し出して見事だ。
彼らが盗もうとしたオーデュポンの絵は,伊藤若冲のニワトリに対抗するかのように精細な細部の集成であることが,実際に縛られた高齢の司書が事件を振り返って最後に冷静に口にする「彼らは知識や経験を積み上げていくことを放棄した」旨の述懐と見事に呼応する。
青春真っ只中の方も,司書の側に立つ人も,必見。
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(★★★★★が最高)
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