子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「偶然と想像」:移動する人,棒読み台詞から零れる感情,すれ違う想い

2022年01月08日 11時40分30秒 | 映画(新作レヴュー)
タクシー。バス。エスカレーター。徒歩。登場人物はそれぞれの方法で移動し,思い,喋り続ける。タイトルの通り登場人物は皆,思いがけない「偶然」の出来事に遭遇し,相手の感情やこれから起きることを「想像」し,逡巡し,決断し,行動する。一話約40分という限られた時間の中に巧みに配置された起伏に翻弄され,極力感情のうねりを排した言葉の流れに身を任せることによって得られる感触は,まったく異なるフォーマットを持った「ドライブ・マイ・カー」と地続きでありながら,よりリズミカルで軽やかだ。「偶然と想像」は濱口竜介のストーリーテラーとしての優れた才能を堪能できる作品だ。

3つの話の底にはいずれも「未練」や「復讐心」それに「後悔」という,根源的な感情が流れている。別れた恋人に対する嫉妬に似た想い。単位をくれなかった教授に対するセックス・フレンドの復讐の企みに乗ってしまった後悔。高校生の時の恋情を断ち切った相手に対する複雑な感情。長い時間が経ってもいまだに熱を放ち,自分では振り捨てることもできない重みを持った感情が,しかし湿り気は持たない台詞によって浮き彫りになっていく3つの物語には,濱口が敬愛しているというエリック・ロメール作品が持つ乾いた温もりと共通するものが存在している。

濱口が消化してきたと思われる先人たちの膨大な「遺産」が随所で顔を覗かせることも,物語をより芳醇に香らせることを助けている。第一話と第三話で使われている唐突なズームアップは,ホン・サンス作品で使われているものと似たような劇的効果を生み出していたし,第二話において展開のツイストとして用いられた,主人公の運命を狂わせる「タッチ・ミス」は,嫌が応にもテリー・ギリアムの傑作「未来世紀ブラジル」を連想させる。「将来的にも演劇を演出する予定はない」という本人の発言の一方で,「ドライブ・マイ・カー」と同様に限定された空間における造形の巧みさも見事。様々な記憶や技術,そして俳優たちの演技の総和が,「この先はどうなるのだろう?」という観客の興味に繋がっていたことは,本来「見世物」だった映画作品としての完成度の高さを証明している。濱口監督は本意ではないだろうが,私としては「面白かった」という点で,アダム・マッケイの「ドント・ルック・アップ」と双璧をなす快作だ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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