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マシュー・ヴォーンが作り上げた新しいスパイ・アクション・シリーズもこれで3作目。前作でまさかの英国紳士による「カントリー・ロード」の熱唱に喝采を送った人間としてはここまで来たら,既に収束した気配の濃厚なジェイソン・ボーン・シリーズに代わり,長年スパイ・アクションの代名詞となってきた「007」の後継者として立候補してほしいところだが,その場合の課題のひとつは,果たして先達のような「偉大なるマンネリ」を追求するべきなのか否かという問題だろう。
クリエイターのマシュー・ヴォーンはそんなファンの疑問に対して,本作「ファースト・エージェント」において明確な回答を打ち出してきた。すなわち「敵を変えることのみに依拠する変奏曲的なシリーズにはしない」という宣言だ。これは面白いことになってきた。
今回ヴォーンが取った戦略は,単純に言えばメインとなってきた物語の前日譚,ということなのだが,これがなんと架空のストーリーではなく,メインとなる展開に史実が織り込まれたまさに「虚々実々」路線。第一次世界大戦という大きなフレームをプロットの底部に置いたことによって,予想もしなかった凶悪かつ巨大な敵,ラスプーチンが登場するというサプライズが発生した熱は,「007ミーツ1917」から予想されるものを超えるものだった。
作品中の白眉はラスプーチンと「キングスマン」3人との間で繰り広げられる中盤のアクションなのだが,ここで鳴り響くチャイコフスキー作曲の「1812年」のリズミカルな旋律は,一般的にクラシック音楽が映像の補完装置として使われる際の「色彩添付」という役割を遥かに超えて,まるで映像の方がプロモーション・ヴィデオであるかのような印象を与える見事なシーンだ。それも「怪盗ラスプーチン」という,誰もが知っている稀代のヴィランを,そのままの役柄で登場させるという秀逸なアイデアがあってこその成果。
スパイ・アクションに「戦争映画」を潜り込ませるという果敢な試みも,キングスマンのひとりに戦場においてまさかの死に方を強いた驚きの展開が機能したこともあって,上滑りせずに最後まで観客をグリップすることに繋がっている。
ここから現代までちょうど1世紀。やり方によっては「フォレスト・ガンプ」のような映像マジックを駆使しながら,巧みな嘘で綴る20世紀スパイ史サーガも可能だろう。豊かな鉱脈を発見したシリーズの行く末に乾杯。
★★★★
(★★★★★が最高)
クリエイターのマシュー・ヴォーンはそんなファンの疑問に対して,本作「ファースト・エージェント」において明確な回答を打ち出してきた。すなわち「敵を変えることのみに依拠する変奏曲的なシリーズにはしない」という宣言だ。これは面白いことになってきた。
今回ヴォーンが取った戦略は,単純に言えばメインとなってきた物語の前日譚,ということなのだが,これがなんと架空のストーリーではなく,メインとなる展開に史実が織り込まれたまさに「虚々実々」路線。第一次世界大戦という大きなフレームをプロットの底部に置いたことによって,予想もしなかった凶悪かつ巨大な敵,ラスプーチンが登場するというサプライズが発生した熱は,「007ミーツ1917」から予想されるものを超えるものだった。
作品中の白眉はラスプーチンと「キングスマン」3人との間で繰り広げられる中盤のアクションなのだが,ここで鳴り響くチャイコフスキー作曲の「1812年」のリズミカルな旋律は,一般的にクラシック音楽が映像の補完装置として使われる際の「色彩添付」という役割を遥かに超えて,まるで映像の方がプロモーション・ヴィデオであるかのような印象を与える見事なシーンだ。それも「怪盗ラスプーチン」という,誰もが知っている稀代のヴィランを,そのままの役柄で登場させるという秀逸なアイデアがあってこその成果。
スパイ・アクションに「戦争映画」を潜り込ませるという果敢な試みも,キングスマンのひとりに戦場においてまさかの死に方を強いた驚きの展開が機能したこともあって,上滑りせずに最後まで観客をグリップすることに繋がっている。
ここから現代までちょうど1世紀。やり方によっては「フォレスト・ガンプ」のような映像マジックを駆使しながら,巧みな嘘で綴る20世紀スパイ史サーガも可能だろう。豊かな鉱脈を発見したシリーズの行く末に乾杯。
★★★★
(★★★★★が最高)