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映画「キャンディマン」:スタイリッシュなホラーに昇華した都市伝説

2021年11月07日 11時35分59秒 | 映画(新作レヴュー)
ジョーダン・ピールは「ゲット・アウト」と「アス」のたった2本の作品によって,ホラーにあまり馴染みのない映画ファンを強い力でグリップした上で「ブラック・ライヴズ・マター」運動を水面下で推し進めるという離れ業を成し遂げて見せた。その独特の乾いた作風には,コメディアンでもあるという自身の資質が多分に影響しているように見える。すなわち「人生は近くで見ると悲劇だが,遠くから見ると喜劇である」というチャップリンの言葉を実践するような,独特の距離感を持った視点の妙とでも言うようなアプローチを強く感じるのだ。そんな感触は,監督をニア・ダコスタに譲って,自身は脚本とプロデュースに回ったリメイク版「キャンディマン」にも強く感じられる。

現代芸術のアーティストであるアンソニーは,鏡に向かってその名前「キャンディマン」を5回唱えると大量の蜂と共に「彼」が現れ,呼びだした相手を襲うという,シカゴの公営住宅街に伝わる「都市伝説」を,自分が子供の頃に経験した出来事と関連づけて語る住民から聞く。アンソニーはその伝説が,古い住宅が取り壊され,タワーマンション群へと変わりつつある現代にもまだ生きていることを知り,やがて自分の身体に起こっている重大な異変を,宿命として受け容れていく。

クライヴ・バーカーの原作を元に30年近く前に作られたオリジナルの「キャンディマン」は未見だが,ジョーダン・ピールの手になるリメイク版は,キャンディマンの鉤手が実際に人間の身体を切り裂く直接的なカットは意図的に省き,噴き出す血飛沫のみを画面に映し出す。伝説を怖がらない無謀な若者が,その無謀さ故に殺人鬼の犠牲になるというホラー映画「お約束」のシークエンスも,女子トイレという,これまで大量の血が幾度も流されてきたロケーションを舞台にちゃんと用意されてはいるが,スプラッターに寄った描写は慎重に避けられている。どのカットも極めてスタイリッシュな構図の中に,クールな色彩がちりばめられ,実にお洒落なホラー映画という印象を受ける。

ただピールが監督した2作と比べると,都市伝説を必要以上に拗らせてしまった結果,「キャンディマン」は実在する,というメイン・プロットが弱まってしまったことは,ホラーとしては明らかな失敗だろう。そのせいで黒人差別に関する問題意識が剥き出しの状態で提示されることになってしまい,却ってその点での訴求力は弱まってしまっている。
「アート」と「ホラー」の融合から「ブラック・ライヴズ・マター」を滲み出させる,という狙いは意欲的だっただけに,弄り過ぎという陥穽に嵌まってしまったことは,米国版「アメちゃん」おじさんも悔しがっているはずだ。
★★★
(★★★★★が最高)


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