山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

真鍋島 寒菊畑の夢の跡

2010-12-25 | 
昔は海岸ぎわから島のてっぺんまで、寒菊畑に覆われていたそうです。
今は大部分がやぶ(木)になっていたり、ススキやセイタカアワダチソウが生い茂っています。その中に、寒菊を育てるときに使った鉄パイプがたくさん残っています。寒冷紗をかけるのに使ったのかと思います。

残っている小さな畑には豆類や甘夏のような柑橘が植えられていました。
柑橘のオレンジ色もかわいいものです。
やぶの間の細道を歩いていくと、ところどころに水仙が青々と生えていました。
寒咲きのものはすでにつぼみ、春咲きのものも20センチぐらいに育っています。
そんなところに、かつて人が働き暮らしていた気配を感じます。

やぶを切り開く音がして、行ってみると、30代ぐらいの女性が一人で、
ススキや低木に周りを覆われてしまったはっさく(甘夏?)の畑の手入れをしていました。
もう柑橘も出荷したりはしていないそうですが、
荒れてしまったのを見るに見かねてやっているそうです。
えらいなぁ。
はっさくなのか甘夏なのか夏みかんなのか、その人も知らないのですって。
話しかけたら、とっても気さくにいろいろ話してくれました。
この島の人、オープンです。

島の尾根からは、岡山県側の島々と、愛媛県側の島々と、
ぐるりといろんな島を見ることができます。

クリスマスですって?

2010-12-25 | なんとなく報告
朝起きたら、雪化粧していた。
白クリスマス。

毎年のようにクリスマスになじめないとブログに書いているような気がするけれど
考えてみればその傾向は年とともにひどくなっている。
子どもの頃はケーキ食べたさに、クリスマスはそれなりにうれしかった。
当時ケーキなどというものは、誕生日とクリスマスにしか食べられなかったから。

当時のケーキはバタークリームのものが主体で
(冷蔵庫が普及してなかった時代を引きずっていたのだろうか)
そのクリームがとてもまずくて
一口食べてはいやになっていたのだけど
それが分かっていても、華やかなケーキがやっぱりほしくて
父が会社帰りにケーキを買って持って帰ってくるのが待ち遠しくてならなかった。

子どもっていいなぁ
そんなことにときめけて。

まあ、大人になって、ケーキも珍しくないし
そのせいか食べたいとも思わないし
やっぱりこれは
飽食時代、飽物時代ゆえでしょうか。
娯楽もありすぎるほどあるし。

物があふれかえって、最近ではいかにモノを減らすかという本が
やたら売れているようです。
そんな本買ったらまたモノが増えるのに。
でもちょっと読んでみたい(笑)。
物を捨てるってのは、結局「自分さがし」なのよねえ。
自分にとって大事なものをいかに見つけ出し
過去といかに訣別するかってことなんだから。


でも日本にも本当にクリスマスの本来のキリスト教的意味を理解して
大切にしている人たちがいて
そのことは決して否定しはしない。いいことだと思います。


そして今気づいたけれど、私は
「ここは日本だから」「もうすぐお正月だから」といって
プレゼントがもらえなかった思い出こそを
とてもいいこととして大切にし、また誇りにもしているということである。
その中に両親の身の丈に合ったつつましさや堅実さや健気さや
暮らしへのまなざしとやさしい心を感じているのである。
そんな両親の断固とした態度こそが、私へのプレゼントであったように思う。