政治をするエリートを期待
今日は県知事選挙の日。寒い日であっても投票には行くぞと自分を励ます。二人の立候補者の主張、その違いを聴いて選ぶ。
選挙で当選した人が、「選挙によって信任された」と発言することがある。争点がいくつかあれば、自分の意見が一方の候補とすべて同じとはならない。そのため争点を選別して、より重要と思う点に沿い投票する。このことは人を「信任」したのではないことを示している。
さて、今選挙の争点は、原発、憲法改正、人口減少対策(経済活性化)など。原発と憲法改正(9条など)は「政府が決めること」という候補。地方は国が決めることには、はっきり主張しないと聞こえる。岩国では米軍基地関連投資などが多いとか。経済には良い影響を与えるだろう。
しかし、自分の主張をしないのは、選挙権が有っても選挙に行かないのと同じこと。「自分にとって悪くはないだろう」との安易な対処だ。自分の意見を出し合って、議論することからより良い方向が見つかる。議論を聞いている我々も、「なるほど」と理解して応援することができる。
議論を避ける候補は、政治をするエリートと言えるのか。とても疑問に思う。
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