今日は、ハッピーライフの矢野裕洋です。
今回は、昨日の続き、潜在意識の話です。
最初に、潜在意識とはどういうものでしょうか?
簡単に言うと、潜在意識は似たような状況になると似たような感情や行動や思考を強い力で促してくる心の条件反射です。
潜在意識は子供の頃に環境適応によって形成されますから、日本人に生まれても赤ちゃんの時にアメリカ人に養子に出されればアメリカ人として生きる環境適応をします。
ですから、姿形は日本人でも、心はアメリカ人になります。
そして、ある程度の年齢になると固定化します。
(個人差がありますが、15歳くらい。)
ちなみに、ユング、フロイト学派がよく使う無意識という言葉と潜在意識は同じ意味です。
小さな頃、犬に咬まれて、犬は恐い、という潜在意識の条件反射が形成されれば、体がどんなに大きくなっても年齢をどんなに重ねても 自分を咬んだ犬ではなくても 似ていますから、恐い、という感情を潜在意識は強く出します。
前回のパソコンの話に例えると、
脳はパソコン 潜在意識はソフト 顕在意識(皆さんが意識と通常言っている思考する所)はパソコンの使用者になります。
対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病の方、人生が上手く行かない人など、潜在意識(ソフト)に問題が有るだけです。
(注、人生が上手く行かない人は潜在意識からポジティブになれば上手く行きます。この話は後日書きます。)
脳(パソコン)に問題はありません。
そして、潜在意識(ソフト)が、パソコンの使用者(顕在意識)の望んでいない条件反射を出すので、パソコンの使用者(顕在意識)が困っているのが現状です。
例えると、あなたがパソコンで、あい 、と打って、愛、と変換したいのに何度しても変換が上手く行かないようなものです。
何度しても上手く行きませんから、あなたはイライラしたり気持ちが落ち込んだり怒ったりゆううつになったり、自分を嫌ったりしているのです。
当然ですが、パソコン本体が悪いのではなくソフトが悪いのですから あい を 愛 に変換させるにはソフトを修正するしかありませんよね(笑)。
しかし、現状は、潜在意識(ソフト)が悪いという事はまだまだ一般に知られていません。
特に、対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病は、病気、というのが常識ですから。
医学では、精神安定剤などをパソコンの使用者に飲ませてイライラしたり気持ちが落ち込むのをぼんやりさせて防ごうとしています。
多くの結果に焦点を当てる心理療法は、愛、と変換できなくてもいいじゃないか、と開き直らせたり、あきらめさせたり、愛、と変換できていない事から気をそらせたりしてイライラしたり気持ちが落ち込みのを防ごうとしています。
皆さんはこの方法で良いと思われますか?
潜在意識(ソフト)を修正すれば良いと思われますよね。
医師に掛っていないような人でも、例えば、僕は頭が悪い、という潜在意識を修正しただけでも大きく人生が変わります。
大丈夫です(笑)。
潜在意識はある程度の年齢になると環境適応しようという部分がなくなり固定化されてしまいますが、微調整は出来ます。
大人になったら、今から、アメリカ人のアイデンティティを持つ事は無理ですが、明らかに間違っている事を修正する事は容易に出来ます。
自分は人よりも頭が良いというようなものは入りにくいですが、人よりも頭が悪いというものは、明らかな間違いですから顕在意識が深く納得する事でなくす事が出来ます。
対人緊張症の人は、人に変に思われたら恐い、人に嫌われたら恐い、というような明らかな間違いをなくして、鉄道のポイント切り替えのように、全ての人は同じ人間、家族や友人に対して出ていた安心感を出すようにポイントを切り替えれば良いのです。
切り替えるには、顕在意識が全くその通りだと深く納得すれば良いのです。
以前、書きました、A君B君のA君は「B君の言う通りだなあ!」と深く納得したから、部長に対しての潜在意識の条件反射が、例えると、以前は 部長=ライオンのような条件反射だったのが、部長=人間という条件反射にポイントの切り替えが出来たのです。
しかし、多くの対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病の人たちは、病気と思っていますから、修正しようという発想自体を持っていない方がほとんどです。
そして、愛、とどうしても上手く変換できないのを、自分に言い聞かせたり気をそらしたり逃げたりしてその場しのぎのやりくりをしているようなものなのです。
皆さんの周りで悩まれている人がいましたら、この事を教えてあげて下さい。
希望を持つ事でエネルギーが出ます。
このエネルギーで人に嫌われたら恐いという事は間違っている。
客観的に考えたら、人に嫌われたら心地良くはないけれども死刑になるわけでも何でもないのだから、人に嫌われる事は嫌だけれども恐くはないというのが正しいと深く納得すれば人生が変わりますから(笑)。
大丈夫です(笑)。大丈夫(笑)。
では、また、明日
今回は、昨日の続き、潜在意識の話です。
最初に、潜在意識とはどういうものでしょうか?
簡単に言うと、潜在意識は似たような状況になると似たような感情や行動や思考を強い力で促してくる心の条件反射です。
潜在意識は子供の頃に環境適応によって形成されますから、日本人に生まれても赤ちゃんの時にアメリカ人に養子に出されればアメリカ人として生きる環境適応をします。
ですから、姿形は日本人でも、心はアメリカ人になります。
そして、ある程度の年齢になると固定化します。
(個人差がありますが、15歳くらい。)
ちなみに、ユング、フロイト学派がよく使う無意識という言葉と潜在意識は同じ意味です。
小さな頃、犬に咬まれて、犬は恐い、という潜在意識の条件反射が形成されれば、体がどんなに大きくなっても年齢をどんなに重ねても 自分を咬んだ犬ではなくても 似ていますから、恐い、という感情を潜在意識は強く出します。
前回のパソコンの話に例えると、
脳はパソコン 潜在意識はソフト 顕在意識(皆さんが意識と通常言っている思考する所)はパソコンの使用者になります。
対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病の方、人生が上手く行かない人など、潜在意識(ソフト)に問題が有るだけです。
(注、人生が上手く行かない人は潜在意識からポジティブになれば上手く行きます。この話は後日書きます。)
脳(パソコン)に問題はありません。
そして、潜在意識(ソフト)が、パソコンの使用者(顕在意識)の望んでいない条件反射を出すので、パソコンの使用者(顕在意識)が困っているのが現状です。
例えると、あなたがパソコンで、あい 、と打って、愛、と変換したいのに何度しても変換が上手く行かないようなものです。
何度しても上手く行きませんから、あなたはイライラしたり気持ちが落ち込んだり怒ったりゆううつになったり、自分を嫌ったりしているのです。
当然ですが、パソコン本体が悪いのではなくソフトが悪いのですから あい を 愛 に変換させるにはソフトを修正するしかありませんよね(笑)。
しかし、現状は、潜在意識(ソフト)が悪いという事はまだまだ一般に知られていません。
特に、対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病は、病気、というのが常識ですから。
医学では、精神安定剤などをパソコンの使用者に飲ませてイライラしたり気持ちが落ち込むのをぼんやりさせて防ごうとしています。
多くの結果に焦点を当てる心理療法は、愛、と変換できなくてもいいじゃないか、と開き直らせたり、あきらめさせたり、愛、と変換できていない事から気をそらせたりしてイライラしたり気持ちが落ち込みのを防ごうとしています。
皆さんはこの方法で良いと思われますか?
潜在意識(ソフト)を修正すれば良いと思われますよね。
医師に掛っていないような人でも、例えば、僕は頭が悪い、という潜在意識を修正しただけでも大きく人生が変わります。
大丈夫です(笑)。
潜在意識はある程度の年齢になると環境適応しようという部分がなくなり固定化されてしまいますが、微調整は出来ます。
大人になったら、今から、アメリカ人のアイデンティティを持つ事は無理ですが、明らかに間違っている事を修正する事は容易に出来ます。
自分は人よりも頭が良いというようなものは入りにくいですが、人よりも頭が悪いというものは、明らかな間違いですから顕在意識が深く納得する事でなくす事が出来ます。
対人緊張症の人は、人に変に思われたら恐い、人に嫌われたら恐い、というような明らかな間違いをなくして、鉄道のポイント切り替えのように、全ての人は同じ人間、家族や友人に対して出ていた安心感を出すようにポイントを切り替えれば良いのです。
切り替えるには、顕在意識が全くその通りだと深く納得すれば良いのです。
以前、書きました、A君B君のA君は「B君の言う通りだなあ!」と深く納得したから、部長に対しての潜在意識の条件反射が、例えると、以前は 部長=ライオンのような条件反射だったのが、部長=人間という条件反射にポイントの切り替えが出来たのです。
しかし、多くの対人緊張症や神経症、性格由来のうつ病の人たちは、病気と思っていますから、修正しようという発想自体を持っていない方がほとんどです。
そして、愛、とどうしても上手く変換できないのを、自分に言い聞かせたり気をそらしたり逃げたりしてその場しのぎのやりくりをしているようなものなのです。
皆さんの周りで悩まれている人がいましたら、この事を教えてあげて下さい。
希望を持つ事でエネルギーが出ます。
このエネルギーで人に嫌われたら恐いという事は間違っている。
客観的に考えたら、人に嫌われたら心地良くはないけれども死刑になるわけでも何でもないのだから、人に嫌われる事は嫌だけれども恐くはないというのが正しいと深く納得すれば人生が変わりますから(笑)。
大丈夫です(笑)。大丈夫(笑)。
では、また、明日