熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

21日の講演レジュメ

2009-11-13 19:42:20 | 文章
11月21日の講演レジュメを作成しました。
当日、来れない方もいらっしゃると思いますので、掲載しておきます。

大阪府島本町歴史的文化財指定記念・H21.11.21講演要旨     将棋駒研究・熊澤良尊

1、大阪府島本町
   百人一首と「水無瀬の里」         後鳥羽上皇と「水無瀬宮」
   楠正成親子の別れ「桜井の駅」       将棋駒のメッカ「水無瀬神宮」

2、王将と玉将

3、千年余の伝統、日本文化の「将棋」
   伝来と創造・日本人の叡知        正倉院には無いのが残念
   『二中歴』の「平安大将棋」と「平安小将棋」
   京都・奈良は、将棋の中心地

4、将棋駒にロマンを求めて
   32年前「安土桃山時代の古い駒がある・・」
   『八十二才・水無瀬駒』と『象戯圖』
   忠寿宮司「こんなものもある・・」と、衝撃の出会い『将棊馬日記』

5、出土駒と伝世駒
   両者には大きな違いがある
   最古は、奈良・興福寺旧境内から出土した墨書の駒
   多くは、自給自足の粗雑な桧・杉の類
   出土駒は、捨てられた「不要物」  
    
   伝世駒は、大切に伝えられてきた「お宝」
   由緒ある最古の駒は、四百十年前の水無瀬駒

6、水無瀬家と水無瀬兼成の将棋駒
   江戸時代の言い伝え=「将棋駒は水無瀬家を家となす・・」
                 「(庶民は)濫りに弄すべからずと云えり・・」
   水無瀬家と、権中納言・水無瀬兼成の血筋
   能筆な公卿が書いた将棋の文字       祖父・三条西実隆の影響
   勅命(正親町上皇/後陽成天皇)

7、水無瀬兼成卿の時代
   室町(足利)時代・戦国時代、そして豊臣から徳川の時代へ
   16世紀は、「能」「茶」「香道」など日本文化の黎明期
   将棋駒は自給自足の時代から、専門家が造る時代への転換期
   風土記に「摂津・将棋駒」

8、水無瀬駒の素材と特徴
   白檀・桑・楠・象牙・沈香もあるが、93%は黄楊
   揺るぎない端正な駒形に、見事な筆跡の「漆書き」
   木地加工には下職「馬削忍斎」の存在     他に「馬屋春介」も

9、『将棊馬日記』で分かった水無瀬駒の製作数と譲渡先
   兼成77才(天正18年)から89才まで、13年間で737組
   天皇から公卿・武将・僧侶・社家・数寄者・大商人までがリピーター
   天 皇 = 正親町上皇・後陽成天皇
   豊臣家 = 関白秀次・秀頼・淀・羽柴秀勝
   徳川家 = 家康・家康息
         徳川家康は最多。関が原の戦いの前後に53組
   大 名 = 前田利家・毛利元就・福島正則・細川幽斎・池田輝政ら
   その他 = 足利義昭(15代将軍)・足利義尚・小西行長・松花堂昭乗・
         久林玄昌(北政所の従兄弟)・本願寺門跡など僧侶・社家・数寄者
   「某」は、一見さん。しかし、庶民は憚られた
 
10、現存する兼成筆の『水無瀬駒』
   水無瀬神宮=「八十二才」の小将棋駒(黄楊木に漆書)
           「八十六才」の中将棋駒(黄楊木に墨書)
   徳川美術館=国宝・「胡蝶蒔絵調度」の小将棋駒(名古屋市、黄楊木に漆書)
   木村名人家=「伝・関白秀次愛用の小将棋駒」(神奈川県、黄楊木に漆書)
            「伝・後水尾天皇真筆小将棋駒」(神奈川県、桑木に漆書)
   本妙寺 =中将棋駒(熊本県、黄楊木に漆書)
   個人蔵 =「八十五才」の小将棋駒(福井県、象牙に漆書)
        =「八十八才」の小将棋駒(東京都、黄楊木に漆書)    
   その他として、3組程度存在

11、『将棊馬日記』の信憑性を裏付ける「八十五才・象牙駒」
   昨年、福井県で発見された「八十五才」の象牙駒が、『将棊馬日記・慶長3
   (1593)年の36組目「象牙 道休」の記述と一致
   「道休」は、室町15代将軍「足利義昭」(天正15年入道して「道休」)
   象牙は、道休を含め「久林・内府(家康)・次郎兵衛・秀頼」5組のみ

12、水無瀬兼成の『象戯圖』に、6種類の将棋
   初期配置図が描かれている最古の資料
   嘉吉3(1443)年に書かれた曼殊院宮が所持する筆写本を天正19(1592)年に、
   兼成が借り受けて筆写したとある(古事類苑によれば、さらに古い原本の存在
   があったとされる)
   天正19年と20年に、『象戯圖』を6種の将棋駒とともに関白秀次に献上
   序文に、「身分の上下のへだたりなく・・」とある

   水無瀬神宮に2巻、東京都立中央図書館に1巻、某所に1巻が現存

13、兼成以降の水無瀬駒
   水無瀬親具(ちかとも=兼成の養子、一斎)、「六十五才・一斎」の駒
   水無瀬兼俊(かねとし=兼成の嫡孫)、水無瀬神宮ほか未確認ながら2組存在
   (兼俊は、祖父の筆跡を真似た駒を造っていた形跡)

   江戸時代以降、兼成の筆跡を手本とした「水無瀬流」の駒が造られてきた
   (一方、明治大正期以降は、銘を「水無瀬書」あるいは「大納言水無瀬兼俊卿
   筆跡」とした駒を見かけるようになるが、大納言は誤りであり文字そのものも
   出所不明のものであり、比較的新しい時代での創作が疑われる)
                                               以上

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駒の写真集

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