4月16日(金)、雨。
朝から冷たい雨です。
自然現象には逆らえません。
寒いので今日も一日、ほぼ家の中でした。
写真は、その合間に撮影したハナミズキ。
若木が赤くなり始めて、花のようですが、実際は「ガク」でしょうか。
ハナミズキを見ると、20数年前、単身赴任していたころ、通勤の道すがらに見た東京・上野公園のハナミズキを思い出します。
仮住まいは、上野公園の北の端にある国立博物館や芸大から100メートルほど西へ行った、確か町名は上野桜木町だったでしょうか。寮はいわゆる日本家屋のしもた屋。部屋はその2階でした。
夜は、ここでも少し駒づくりをしました。
近くには、弓、琴、桐指物、版画などいろいろな職人が仕事場を兼ねたお店があって、時折り、出かけては小一時間店先に座って、手仕事を見学させていただきました。
桐指物は確か佐藤さん。あるとき、「纏」を作っていました。
佐藤さんには、自分で設計した「10組分が入る駒入れ」を作っていただきました。
それは今でもあります。今度、写真でお見せします。
そういえば、5~600メートル南の根津町には、すでに亡くなっていた宮松影水さんの家もありましたね。
朝から冷たい雨です。
自然現象には逆らえません。
寒いので今日も一日、ほぼ家の中でした。
写真は、その合間に撮影したハナミズキ。
若木が赤くなり始めて、花のようですが、実際は「ガク」でしょうか。
ハナミズキを見ると、20数年前、単身赴任していたころ、通勤の道すがらに見た東京・上野公園のハナミズキを思い出します。
仮住まいは、上野公園の北の端にある国立博物館や芸大から100メートルほど西へ行った、確か町名は上野桜木町だったでしょうか。寮はいわゆる日本家屋のしもた屋。部屋はその2階でした。
夜は、ここでも少し駒づくりをしました。
近くには、弓、琴、桐指物、版画などいろいろな職人が仕事場を兼ねたお店があって、時折り、出かけては小一時間店先に座って、手仕事を見学させていただきました。
桐指物は確か佐藤さん。あるとき、「纏」を作っていました。
佐藤さんには、自分で設計した「10組分が入る駒入れ」を作っていただきました。
それは今でもあります。今度、写真でお見せします。
そういえば、5~600メートル南の根津町には、すでに亡くなっていた宮松影水さんの家もありましたね。
駒の写真集
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