たしかに初夢を見たような気がするが
氾濫する韓流ドラマのようにゴタゴタして
なにがなにやらはっきりしない。
一つ鮮やかなのは
大勢の天女に囲まれている光景が残っている。
これは大晦日の紅白歌合戦に観た「KARA」や
「少女時代」の影響かもしれない。
チャーミングな尻ふりダンスに
おとなしくしているじーじの本能がくすぐられる。
初夢のはてあの声は誰ならむ
(一フジニタカ三ナスビ)
なんて古典的なことはもうとっくに死語。
現世から益々おいてきぼりの身の上なら
せめて初夢ぐらいは
ゆだれを垂らすような生々しいのがいい。
一見脈絡がないようにおもえても
次元が異なるだけであって
夢は現実と同時に存在している。
荒唐無稽と思われる夢も
その人の夢の中で実現している。
ああ、今夜も夢のつづきを・・・・・・
新年を迎えても
大きな声で言祝ぐことに些かの抵抗がある。
大災害の犠牲者のことを考えたら
ふっと言葉がくぐもってしまう。
それでもなお神仏に祈るのは
明日を信じる人間のたくましさであろうか。
今年も沢山の年賀状を戴いた。
どの葉書もみな向日的で希望に輝いている。
殊に子どもの成長を伝える写真には
つい心の中で平安を祈ってしまう。
普通でいい・・・・・・・
普通の暮らしがつづけられればそれでいい。
価値観の大変革が
この大災害を教訓として総ての日本人に求められている。
無一物とはいかずとも余計なものは欲しがらず
もっと静かに、もっとゆっくり
人生を生きよう!
たべて寝て又たべて寝て三が日