ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

相性

2012-01-13 14:28:07 | 日記・エッセイ・コラム

乾燥、空気からから、鼻ムズムズ。
20日雨が降らない。
インフルエンザはやりだす。
山だろうか?
消防ポンプ車が北の方へ急ぐ。

昼休みに合わせて銀行へ。
この時間がいちばん空いている。
膝に痛みがあるので
呼ばれてもすぐには立ち上がれない。
気の毒そうに見まもる窓口の行員。
あまり心配されても困る。
腹の底で掛け声をかけ
ぐいっと立ち上がる。

ぶきっ! ぶき ぶき・・・・
膝の悲鳴が昼下がりの銀行に響く。
ああ、もう一軒 銀行に寄らねば。

膝の故障を除けば
わたしの正月は静かに穏やかに過ぎている。

夕方、隣りのトマト生産農家から
今年第一号のトマトが届く。
さっそく、窓際で咲いているバジルの葉をちぎり
いっしょに食べる。
トマトとバジル・・・・・
これほど相性のよい食材は容易には探せない。
ーーーーにんげん も。

  水仙のコップの水へ震度四


遊びをせんとや

2012-01-12 11:49:34 | 日記・エッセイ・コラム

新しくはじまったNHK大河ドラマ「平清盛」。
初回だがなかなか面白そうだ。
 (昨年の「江」は期待外れであったが)
劇中、白拍子の舞子の美しい唄がながれる。

  「遊びをせんとや生まれけむ 
     戯れせんとや生まれけむ」

さらに唄は次のようにつづいている。
  「遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそ動がされ
   舞え舞え蝸牛 舞わぬものならば
   馬の子や牛の子に蹴させてん 踏破せてん
   真に美しく舞うたらば 華の薗まで遊ばせん」
                     

平安末期、
後白河法皇によって編纂された
今様はやりの歌謡集「梁塵秘抄」の巻頭に
おさめられている。

純真に遊ぶ子どもの姿を
憧れの眼で見つめている大人たちの感慨。
 ああ、いまいちどあの頃へ・・・・・

遊びから人生を学ぶこと大であるのに
遊ばなくなった現代の子どもたち。
その結果、大人に成りきれない
妙な人間があちらこちら出現している。

 どなたかな雪に大きく転びしは



  


責任は・・・

2012-01-11 13:00:51 | 日記・エッセイ・コラム

ネギ・大根・芋・菜っ葉など
届けてくれる人が居て
お陰でこの時季でも野菜には不自由しない。
届けてくれながらもちょっぴり
放射線汚染を気遣ってくれるが
じじばばの二人暮らしゆえなにも心配いらない。

お茶だけは鹿児島から取り寄せているが
あとは頂きものをありがたく食べている。

水俣病、薬害エイズ、洪水、熱暑、地震
狂牛病、鳥インフルエンザ・・・・・等々
この小さな列島で1億3千万の日本人は常時
いくつもの危険にさらされてきた。

問題なのはそれが天災によるものか
あるいは人災であるか。
天災ならときには諦めもあろうかと思うが
企業や役人や関係者などの
奢りと怠慢によって引き起こされた人災は
許しがたい。
長い年月をかけても殺人犯を追うように
人災に関わった者たちへの追及に
手を緩めてはならない。

最後はなんでも国の責任として
国家賠償などで事をおさめてしまうのはよくない。
国の責任とは言いかえれば
国民の責任ということになるのだから。
真犯人は何処かでのうのうと頬かぶり。

 

       白菜ねむる新聞に包まれて


食わず嫌い

2012-01-09 11:54:23 | 日記・エッセイ・コラム

ずっと食わず嫌いだったヤーコンを
この頃キンピラにしてよく食べる。
これがまあ!うまい。
お陰でお通じがスムーズ。

食わず嫌い。
かえりみると人間関係の上でも
おなじようなことがあったなあ。
第一印象で判断し遠ざけてしまった人たち。
せっかくこの世の縁が生じるところを
自分から断ち切ってしまい・・・・
今は元気でやっているだろうか
いくつかの顔が浮かぶ。

ヤーコンもゴーヤも
美味しく食べられるようになった今日
周囲のもの総てが愛おしく思えてくる。
バックミラーに映る冬夕焼けに
キャットフードを啄むふくら雀に
隣りのテーブルでとんかつを食う家族に
路肩に車を寄せて譲り合う人に
年賀状のあかちゃんに
三日月を支える冬木立ちに 
風の音に 水の匂いに
愛おしさを深くする。


考えられないことでもない

2012-01-05 13:16:39 | 日記・エッセイ・コラム

遠く離れているので詳しくは判らないが
それは奇跡だと思う。

実家へ里帰りしたその日、
くも膜下出血で倒れ緊急手術。
処置が速かったから 医師の腕がよかったから
あるいは出血の場所がよかったから・・・・
いくつものラッキーが重なって
年の瀬の詰まった2ヶ月後
彼女は退院した。
命拾いの今、
うれしい正月を迎えていることだろう。

年が明けてはや5日。
穏やかそうに日はつづいているが
眼に見えない毒の大気が
ひたひたと山川草木を汚している。

原発・・・・・
あれやこれや賛否両論 喧々諤々。
思えば40年前まではそんなものは無かったのだから
原発の無い暮らしも決して考えられないことではない。
贅沢をつづけるか 節約の暮らしに移行するか
どちらを選ぶかである。