ジェイムズ・グレイディの「コンドルの六日間」を発見。一も二にもなく飛びついて読んでいる。訳出が1975年。33年前だ。それでも十分に面白いってのは、確かな底力がある本だったと云う事だね~。思わず時間を忘れてた。
最近はじめた水門巡りもついつい時間を忘れるほど楽しい。勿論辿り着いて目の当たりにした時の嬉しさは勿論だが、どうやって行こうか、どう近づくのがいいのか、こっちから近づけるのか、近くへ行ったはいいけど、ちゃんと見えるのか等々。行く前からグーグルマップで検討している時も楽しいのだ。
排水機場や水門は大抵関係者以外立入禁止なので、間近までいける事はない。一方で僕
のような鑑賞者は、近くに行けば良いと云うものでもないのだ。
そして勿論、可能であれば、ターゲットの水門は表からも裏からも鑑賞したい。さらにはゲートや門がちゃんと見える場所から見たい。
しかし、近づきすぎると見えなくなってしまうのよ。そしてターゲットとなる水門の表と裏が見える場所に向かうとなると想像以上に大きな距離を移動しなければならない場合だってあるのさ。
でもさ、どうしてこんなに惹かれるのだろうと考えてみると、やはり子供の頃の思い出に辿り着く。
それは仙台の広瀬川の思い出だ。放水路の真上に陣取り、とめどなく吹き出す濁流を眺めて、いつの間にか夕暮れを向かえていたあの頃。
夕暮れ迫る燃えるような色彩で映えるコンクリートが眩しかった。
こんな景色を見るとつい思い出してしまう。もしかしたら、だから僕は河川敷に足を向けてしまうのかもね。
こういう景色は胸にぐっと来てしまうのだよ。