浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

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雨降りだからミステリーでも勉強しよう

2008-10-13 00:17:11 | 出来事
明け方からちょっと体調が悪くなって目を覚ましてしまい、うろうろしているうちに明るくなってきてしまった。なんだかんだ普段以上に寝てしまった訳だが、途切れ途切れの睡眠はなんだか寝た気がしない。今日は結果的にゴロゴロと本を読んで過ごしてしまった。コーマック・マッカーシーの「越境」に打ち負かされていたと云う事も出来るかも。この文章にもうダウンである。僕はこれをどう纏めればいいのだろう。

続ければ文章を書く能力は確実に向上するハズだと云うが僕の場合は例外もあると云う例だったのかも知れぬ。

繰り返し繰り返し戻っていく原点のような本の一つに植草甚一の「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」と云う本がある。

今手にしても多分若い人にはちんぷんかんぷんだろう。何故なら紹介されている本がすべて古い、どれも書店で目にすることがなくなって久しい本ばかりだからだ。

実際には本書は訳出されるよりもずっと前に原書・原文を読んで書き出されたものなので、リアルタイムで読んだ僕らは、これをバイブルに訳出されたミステリを読み漁ったと云う代物なのだ。

当時は一歩も二歩も先を行く読書レビューであった訳だ。英語やフランス語の原著ををわしわしと読んでいく植草氏の語学力は眼を見張るものがある訳だが、驚くのはその要約する力というか技である。

それこそ、繰り返し繰り返し読んでいた一文にジョン・ル・カレの「死者にかかってきた電話」に関するものがある。とっても長いのだが、引用させてもらう。

『この作品は、まず最初、どっしりとした格調のある文章で、ジョージ・スマイリーというイギリスのスパイだった男の前歴を語り出す。スマイリーはオクスフォード・カレッジでドイツ語を勉強し、1920年代のなかばに大学で17世紀ドイツ文学の研究に没頭しながら、ドイツ留学のためのフェローシップにあずかろうと夢見ていたが、その夢は、別の形で実現した。1928年7月、彼はイギリスのスパイになったのである。こうして最初の2年間はドイツの地方大学で英米文学を講義し、夏休みには生徒達を連れてイギリスに戻ったりしているうちに、スパイとしての下地ができあがっていったのであるが、やがて意識的に周囲から自分を隔絶するという孤独な人間になっていった。彼の脳裏には、1937年の冬の夜、おおぜいの生徒達が集まった大学の校庭で、トーマス・マンやハイネやレッシングの著書が、山のように積まれて焼き捨てられる光景が、今もって鮮やかに残されている。敵の正体を、このときほどよく知らされた事はなかった。1939年には、スウェーデンで暮らしながら、スイスの武器製造人のエージェントとなり、ドイツとのあいだを往復していたが、しだいに彼の相貌は変じ、左眼はたえず痙攣するようになり、夜は眠れないまま神経が緊張をし続け、そのために急に女や酒や麻薬を欲するようになっていた。彼はスパイの役割をよく果たしたのである。ついで1943年になったとき、突如イギリスへの帰還を命じられるとともに、スパイの仕事から解除された。彼は老年に向かいだしたのである。あらたに若いスパイが物色され、彼は国防省顧問に任命されると同時に、美貌で評判の上流中年婦人と結婚する事になった。スマイリーは背が低くて肥満した中年男であり、いつもよれよれの服を着ていたので、この結婚は社交界でのスキャンダルとなった。二年後スマイリーの美貌の妻は、キューバ生まれの自動車競争選手と恋においちり、二人はキューバへ駆け落ちしてしまった。
こうした滑り出しに、ぼくは弱いのだが、いまスマイリーは、朝の二時だというのに、ロンドンのタクシーに乗ってケンブリッジ・サーカスに向かいつつある。1月14日の水曜日に事件が発生したのであるが、彼はタクシーのなかでこのような過去の回想をしていた。』


長くてゴメン。しかし素晴らしい。どうしたらこんな風に纏められるのだろうか。妬ましいとすら思える。せめてこの「時制」の使い回しだけでも真似させてもらえないものだろうか。ル・カレの実物を読めば明らかな事だが、実際にはこの要約のように平坦で直線的な記述にはなっていない。

植草甚一は小説のなかで登場する出来事を時間軸に沿って再構成して書いているのだ。
僕もメモを持ち歩き、出来事や人間関係について書き記しながら読み進むようにはしているのだが、植草氏の書いているさりげない文章のようには到底仕上がらない。

特に「いまスマイリーは、」と云う書き出しを見ると、そもそもの読み手としてやはり超一級の人であったなと思わざるを得ない。

悔しいので、度々引き出しては読む。読んで悶々とする。どう読んだら、こう書けるのかと。でもいつしかその文章に引き込まれ、作家として優れているのはレン・デイトンなのか、ジョン・ル・カレなのかといった議論に再び巻き込まれてしまう。この「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」はそんな本なのだ。