なんとももやもや感のある松本龍の辞任。「暴言で辞任」は違うなと。そんな話ではないだろう。僕自身態度が横柄だからというただそれだけで、怒りを感じていた訳ではない。うまく説明できないこの怒りはなんなのだと。仕事してても気が散るようなこの思いは何かとやや悶々としておりましたが、それについて内田樹氏のブログはいつもながら明快でありました。
http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php
やはり才覚のある方は言う事が違う。
災害復旧に全力であたるべき職のリーダーたる存在が、恫喝という手段でメンバーのパフォーマンスを低下させることで相対的に自分がリーダーであるという存在自体を明確にしようとした。この愚鈍な行為によって組織全体のパフォーマンスを低下させるという本末転倒な言動を行った事が辞任に追い込まれたというのが実態なのだと。
正にその通り。
つまり、そのなんだ。バカは遷るのだ。
バカは遷るとよく言われておりましたが、恫喝などの理不尽なプレッシャーをまき散らすことで周囲の人は好むと好まざるを得ず「バカが遷る」。
なんなんだあの男はほんと頭に来るよ等と繰り返し脳裏をよぎっていた僕にも、そうバカが遷っていた訳だ。
僕があたまに来ていたのは、正にそこ。突然現れて「バカを遷された」こと。映画館で映画を観ているときに前を遮られたかのように邪魔くさい。これ。
これに頭にきてたわけだ。
こんなにも広くあまねくバカを遷してしまい社会的パフォーマンスを低下させた事が問題だと問われた訳だ。なるほどそれは正しい。なによりほっといたら社会全体が不効率で停滞するばかりだ。
僕もこのおっさんのために、随分とツィッターでつぶやき、ブログに記事を更新し、家族の団欒で愚痴を垂れ流すという無駄な時間を費やしてしまった。
電車も止めれば賠償金が請求される訳なので、我々の思考を停止させたあのバカにも請求できるかもね。
一方で任命責任を負うとしながらも刀折れ矢がつきるまで続けると発言した菅さんもバカを撒き散らしている訳で、それはまるで扇風機にクソを投げつけたがごとく飛び散ってる感じだ。
社会全体のパフォーマンスを低下させていることに対する罪状では菅氏の方が桁違いに罪が重いと思うのだが、これを浄化できない政治のシステムはやはりどこか問題があると思う次第です。
バカに付き合って無駄なエネルギーを使わないようにするのが一番ですねぇ。修行。修行。