仕事が忙しかったこともあって、一ヶ月自転車で出かけるのに穴を開けてしまった。精神的にも肉体的にも自分の時間を作って出かけないとよくないよね。
今週末は寒さが一段落して風も穏やかだったので、とるものもとりあえず支度をして飛び出した。
外の空気がとても心地良い。そして冬の朝の光線具合がとても好きだ。
今川橋
普段見慣れた景色が新鮮に見えるからだ。
境川東水門
境川を登り、中川を浦安橋で渡り、新川に抜けるいつものコース。新川は流れを止めているようで滞留した水位が上がっていました。何か意図があって止めているのでしょうか?
荒川に出たらちょっとだけ北上して船堀橋を荒川と旧中川を横目に渡る。
大島では駅前の交差点を北に曲がり竪川に抜ける。
今日も竪川を使って隅田川まで一直線だ。
墨田区千歳で、はじめてみる神社に出会った。
江島杉山神社
せっかくなのでおまいり。
こちらは神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天(市杵島比売命)と、鍼術の神様・杉山和一、総検校[そうけんぎょう]がまつられているということです。
鍼術の神様というのもはじめて聞く気がするなー。
杉山検校は若年のころ失明し、家が貧しかったので、一念発起、江の島の岩窟にて断食祈願し、満願の前夜夢に弁財天より鍼術を感応、その後寝食を忘れて修練し、ついに杉山流の鍼術を創始しました。のち五代将軍綱吉に鍼治を奉り、本所一つ目に方1町(12,000平方メートル)の土地を拝領しました。ここに総禄屋敷を建て、その西隣に弁財天の一社を建立したのが始まりです。総禄屋敷では例年2月16日、6月19日盲人が集まり、弁天堂で琵琶を弾じ奉納する習わしでした。ここ江島杉山神社には、江の島の弁天岩窟を模した洞穴があり、奥深く弁財天が祀られています。 なお、境内に即明庵の由来を記した昭和40年建立の「即明庵跡」の碑と、建立事情・年紀ともに不明の宝井其角「ほととぎす」の句碑があります。 その他、戦火の傷も生々しいいちょうの大木もあり、このあたり一帯の戦禍の激しさを物語っています。(すみだの史跡文化財めぐりより)
と云う由緒があるという。なるほど。
またここには世界最初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」があった場所でもあるそうです。
そしてこちらは「力石」墨田区には力石が37個もあるのだそうだ。そのなかで最も古いものは牛島神社の1730年のものなのだそうだ。力石めぐりというのも面白いかもしれませんね。
この神社またなんか奥にありますね。いわやのみちと読めますが。なんでしょうか。
入り口がある!外からはまったく予想がつかない構造になってました。
なかには三体の石像が!ちょっと怖かったです。
正面には杉山検校、左手は人面蛇身の宇賀神、右手は弁財天と宗像三女神なのだということでした。
うむむ。なんでしょう。この場所はもっとじっくり腰をすえて調べないとよくわからないですね。いろいろなものがここに集まってきているみたいです。
隅田川に抜けたら今日は南下。大横川、平久川、古石場川あたりをぶらっとしてみよう。
新大橋
清洲橋
芭蕉記念館から隅田川をのぞむ。先日読んだなぎら健一の本で知ったのだけど、この芭蕉さん、時間で向きを変えているのだそうだ。
おじゃましたときは西向きでした。
清洲橋と芭蕉
何度か来ているハズなのだけど、この像の向きが変わっているなんて全然気がつかなかったぞ。
そして芭蕉稲荷神社にもご挨拶。
永代橋
平久水門
この場所は久しぶりだ。なんだがここってとっても落ち着くんだよね。
こんな風に運河が交差していてのんびりした光景ってすごくステキだと思うのだけど。
左手に見える白妙橋は特に好きな橋のひとつだ。
一ヶ月ぶりなので遠出せず、ぶらぶらと約二時間半。37キロ、とてもいい気分転換になりました。
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