五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

日本人ドライバーの栄光

2012年02月20日 | ミニカー
長いル・マンの歴史の中で優勝したレースカーを運転した日本人は二人だけ。
1995年のマクラーレンF1GTR(写真手前)に乗った関谷正徳選手と、2004年のアウディR8をドライブした荒聖治選手です。

マクラーレンF1GTRは、ロードカーとして売り出されたマクラーレンF1のレースカー・バージョン。
マクラーレンF1自体が「一億円のスーパースポーツカー」と呼ばれるほど妥協を排し高性能を追及したクルマであり、名前のとおり公道を走るF1マシンであったため、そのレースカーの性能は飛び切りのものだったらしいです。
エンジンはBMW製6.1リッターDOHC。ちなみにマクラーレンF1は有名なデザイナーであるゴードン・マレーがホンダNSXをベンチマークとしてデザインしたそうです。



マクラーレンF1GTRは24時間レースのスタート時は最後まで走りきれるかどうか不安だったそうですが、雨で大荒れのレースの中、残り2時間の時点でトップに立ち、そのまま逃げ切って優勝しました。
ル・マン初出場初優勝の偉業でした。
ちなみにこの後、マクラーレンF1GTRは1987年までル・マンに参戦しますがポルシェに阻まれて優勝することはできませんでした。
ドアにペイントされた日の丸と「M.SEKIYA」の名前が誇らしげですね。



アウディR8は3.6リッターV8ツインターボエンジン。オーソドックスなメカニズムとメンテナンス可能な構造を持った“壊れないマシン”で、2000年に1~3位を独占すると、2001年にも1,2位、2002年にも1~3位と安定した力で三連覇を達成しました。(2003年はワークス不参加の影響もあり3,4位に終わっています)



2004年のル・マン24時間レース。前年にベントレーに4連覇を阻止されたアウディR8はこの年再び1-2-3フィニッシュを飾りました。
そしてこのときの優勝チームが「チーム郷」という日本のチーム。ドライバーは3人のうちの一人が荒聖治選手でした。
優勝したカーナンバー5は白をベースに赤と黒。何となく日本っぽいカラーリングですね。



ついでに1~3位に入った3台のアウディR8を並べてみました。
ワークスチームではなくプライベート参加のチームなので、クルマのカラーはばらばらですがみんな同じクルマなのです。それもあって、結局3台オークションで安くそろえちゃいました。




それにしてもアウディ強い(何とアウディは、2000年の初優勝から昨年までの12年間に実に10回優勝しているのです)。

※ミニカーはマクラーレンF1GTRがイクソ製、アウディR8は3台ともミニチャンプス製、1/43スケール。
コメント (2)
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