五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

芸能人の謝罪

2016年03月15日 | 日々のつれづれに
ゲス川谷は謝罪会見開け-坂上忍が番組で糾弾 ベッキーだけさらし者にして…

今更私がこんなことをブログに書いても仕方がないとは思いますが、ちょっと一言書いておこうかな。

みんなが知っているベッキーとゲスの極み乙女(以後ゲス!)のボーカル川谷何某さんの件、ベッキーがテレビで謝罪をしてタレント活動を休業したのに対し、ゲス川谷さんの方はCDの発売やコンサートなどの活動を継続していること、そしてマスコミの前に出て何も謝罪会見などを開かないことに対して、色々な方が非難のコメントをしています。

ゲス川谷さんが迷惑を掛けたのはご自身の奥さん、相手のベッキー、他のメンバー、そしてテレビ局や事務所など。
加えて心配をかけたファンの方々でしょうか。

私はそういう人達に対して謝罪すればいいんじゃないかなと思っています。
美味しい話題を提供したマスコミ(テレビ、スポーツ紙、週刊誌)などからは感謝されこそすれ、謝る必要なんてないんじゃないのかなあ。
ファンでもない我々なんか、何も迷惑をこうむってはいませんし、テレビを見て「ああ、名前の通りゲスなやつだなあ」と思うだけ。

ちなみにゲスの曲は一曲も知りません。
当然自分のiPadにも収録は無し。

だから被害なんてこれっぽっちもありませんから謝罪なんてしてくれなくていいです。
できれば、テレビ局の皆さんもゲスの報道を早く止めにしてほしいかな。
いつまでも見ていたいと思うようなお顔でもありませんから。

こういう話題に乗っかって、安易に人の批判をする芸能人は、単に自分を露出させたいだけの人。
そしてそれを記事にして売りたいマスコミも同様。
いやだいやだ。
そんなものに電波を使ってほしくない、とつくづく思います。


さて、本件も含め芸能人の謝罪ニュースが続いていますが、同じような理由でテレビでの謝罪会見なんて必要ないと思っている人はいないですかね?

事務所内の勢力争いのとばっちりで、さんざん分裂報道をされたあげく、謝罪会見をした某五人組。
いったい誰のために謝ったのか?
CMのスポンサーのためならまだわかります。
商品イメージを著しく貶めてしまった場合とかならば...。
でも今回はそんなことはなかったのにな。

ベッキーもテレビでいったい誰に謝ったのでしょうか?
ゲス川谷の奥さんに対してでもないしなあ。
事務所がスポンサー向けに謝罪させるためにテレビで謝罪させたのならば、テレビタレントとは、つくづく因果な商売かなとは思います。

その点、CDの売り上げやネット配信、そしてコンサートなどで稼いでいるミュージシャンは、それほどマスコミを気にしなくてもいいのでしょうかね。
ファンさえ捕まえていればという感じがしますもん。

以上、ゲスのファンでもベッキーのファンでもない人間の独り言でした(SMAPは少し好きだったんだけどなあ、もうテレビ楽しめなくなっちゃった)。




一脚の雲台

2016年03月14日 | デジイチのおけいこ
過日購入した一脚。
今回、それに取り付ける雲台(うんだい)を購入しました。

雲台とは、一脚や三脚の部位の名前でカメラの向きや傾きなどを調整する部分の名前です。
中野の中古品屋さんで購入した一脚には雲台は付いていませんでした。
雲台は必ずしもなくてもかまわないのですが、上向きや下向きにカメラを固定したり、水平方向に流し撮りしたりする場合には必要なものです。

これまで何度か一脚を使ってみて、自分の場合には上向きに固定して使うことが多いようなので、思い切って購入することにしました。

ひと口に雲台といっても、種類がたくさんあり、中にはカメラ本体よりも高いようなものまであって選択に苦労します。
もっともそんな高いものは始めから選択外ですが...。


今回通販ショップで購入したのは、一脚と同じメーカーであるマンフロットの234というアルミニウム製の雲台。
上下の傾きだけを調節できる「ティルトトップ」と言われるタイプのもの。


前後左右に調節できる「自由雲台」と呼ばれるものは、初心者の私には使いこなせないと判断して、こちらに決めました。
割と安価(購入価格は2千円ちょっと)でしたが、一脚と同じメーカーの製品なので少しは安心だろうと思った次第です。


実際にカメラに取り付けた感じはなかなかいいです。
雲台自体の耐荷重は2.5キログラムあり、マクロレンズや望遠ズームレンズを取り付けたくらいではまったく問題なさそうです。
しばらくは、これを使っていろいろと撮影してみたいと思います。

町内の道祖神(3)

2016年03月13日 | 市川三郷百景
市川大門地区(市川三郷町)の道祖神巡りの三回目は、芦川橋の近くにある二体です。

まずは、「一丁目の道祖神」。
芦川橋から下って本通りに至る途中の御崎(みさき)神社の鳥居の灯篭の脇にひっそりと立っていますので、見過ごしてしまいそう。


御崎神社は、4月の第一日曜日、旧隣町(三珠町)の表門(うわと)神社から神輿が担ぎ出され、芦川の中を渡る、いわゆる御幸(みゆき)さんを行う神社として有名です。

ここの道祖神も双体道祖神。
建立は文政八年(1825年)、町内の道祖神の中では三番目に古いものだそうです。




もう一つの道祖神も一丁目にありますが、こちらは古い地名を取って「大北(おおきた)の道祖神」と呼ばれています。


今は延寿院(跡地)の観音堂の横にあり、ちょっと探しにくい場所にありました。
古い道沿いに立っていたものでしょうか。

火伏の神として知られる秋葉様の石祠の右隣に立っている双体道祖神です。


町内の道祖神は、秋葉社の祠と並んで祀られていることが多いですが、元々そうだったのか、それともいつかの時代に移設されて並んだものなのかはよくわかりません。


こちらの道祖神の建立年はわかっていません。
ご覧のように、永年そこら辺にころがっていたかのように摩耗しており、かろうじて道祖神とわかるような状態なのですから、無理はないかな。
一見、かなり古そうに見えますが。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より

寒緋桜とヒヨドリ

2016年03月12日 | 日々のつれづれに
隣家の寒緋桜(正しい名前なのかは定かではありません)の樹にヒヨドリが来て、ほころび始めた花の蜜を盛んに吸っています。
この時期、メジロなどと同様、花の蜜が好きな鳥の仲間らしいです。

ただし、この寒緋桜の花弁は、ご覧のように下向きなのです。



花の中にくちばしを突っ込んでいます。
こんな感じで蜜が吸えれば、ヒヨドリもあまり苦労はしないのでしょうが。



時には、このような形で吸わなければならないこともあって、私がカメラを片手に近づいても、逃げることなく夢中で吸っています。
ヒヨドリはけっこう大きな鳥ですので、足の力も強そうですね。



一休みしているヒヨドリ。
くちばしの周りに花粉がいっぱい付いています。


寒緋桜とヒヨドリ。
これで、お互いに「持ちつ持たれつ」の関係を築いていることになりますね。

昨日のツバキの花とは違い、標準ズームレンズで撮りました。
焦点距離は200mm。

で、今回の鳥の写真はトリミング(いや、シャレではなくて)してあるのですが、こういう写真を撮るときには、もう少し焦点距離の長いレンズが欲しくなりますね。

ツバキ

2016年03月11日 | デジイチのおけいこ
3.11。

日本人にとっては忘れられないこの日、山梨は朝から雨。
外に出てみると、周りの山はうっすらと雪化粧、道理で寒いはずです。

家内は、愛育の手伝いで乳児のための離乳食教室に出かけました。
新米のお母さんたちが離乳食作りの間、赤ちゃんたちの面倒を見るのだそうです。
赤ちゃんが鳴き止まず、ずっと抱っこしていて二の腕が疲れた、と帰ってきて言ってました。

私の方はその間、公民館の仕事や月末に行うお花見の準備(食べ物の予約)等をして過ごしました。
確定申告が終わり、やっと他の仕事ができるようになったのです。

雨の切れ間に庭に出て、ツバキの花の写真を撮ってみました。
少し前から咲いていたので気にはなっていたのですが、なかなかその時間が取れずにいたもので...。


今回は、いつもの便利ズームではなく、純正のマクロレンズを付けてみました。
手ぶれ補正機能が付いていないので、しっかり構えて写さないとブレブレの写真を増産してしまいます。
通りに面した場所に咲いている花なので、クルマが通っただけでも微妙に枝が揺れてしまいますし。


今回はAF(オートフォーカス)機能を使わずマニュアルで撮る練習をしました。
うまくピントが合えば、花びらにたまった雨のしずくまでしっかりと写すことができます。


トリミングも色補正もしない、いわゆる「撮って出し」の写真です。
いつも使っているS社のレンズと違い、優しい発色のマクロレンズの良さが少しは出ているでしょうか。

年金請求書

2016年03月10日 | 日々のつれづれに
国家公務員共済組合連合会(以下共済組合)の年金部というところから「年金請求書」が送られてきました。

実は数年前、ある国立大学(地元の大学なので、あえて名前を隠しても仕方ありませんが)で七か月間だけ働いたことがあります。
その時に、家内ともども国民年金から一度はずれて、共済組合に加入しました。
たった七か月間でも共済組合に加入したことで、わずかな老齢年金を受け取れる資格を得られました。

しかし61歳(私の場合)の受給請求時には年金の支給は「65歳から」ということでした。
その時も、大学に出向いて証明書を発行してもらうなど、けっこう面倒だったのですが...。

それが昨年の10月に、年金制度の一元化により、公的年金制度の加入期間と合算して25年以上あれば、65歳未満でも受給できるようになったらしいのです。


ふう、年金制度の話って、ややこしい。


で、もう一度年金請求書を出し直すことになりました。

住所、氏名、生年月日、基礎年金番号は言うに及ばず、これまでの年金加入状況、現在の年金受給状況、配偶者の基礎年金番号まで書かなければなりません。
加えて、自分の住民票と、受取口座の証明(銀行での証明印か通帳のコピー)、年金手帳と雇用保険被保険者証のコピーも必要になります。

全部の書類がそろったので、今日甲斐市にある年金事務所に行ってきました。
早めに出かけたので、窓口が混んでおらず助かりました。

手続きは無事終了。
正式に請求が認められて受給できるようになるのは数か月先のこと、のようです。

確定申告終了

2016年03月09日 | 日々のつれづれに
役場本庁舎で開かれている申告相談会に出かけました。

自分の書いた申告書を専門の職員にチェックしてもらうこの会、何度か使わせてもらっています。
今回は、パソコン・ソフトによって完ぺきに仕上げて行ったつもりでしたが、思わぬソフトの転記ミスがあり修正しなければならないところが見つかりました。

もうひとつ、昨年の1月に知事選の立会人をやったのですが、その時の謝礼と言うか報酬というのが所得に計上していないというのです。
そう言えば、確かにお金が降りこまれた時に源泉徴収税額を記した紙きれを受け取ったような記憶が。
税法上は町から受け取った給与に当たるのだそうです。

他にも国民健康保険の支払額で、見つからなかったレシートの分が足りないと指摘されました。
町とのやり取りしたお金は、しっかりと個人のデータベース上に記録されているんですね。
まあ、当たり前といっては当たり前ですが。

で、対応してくれた方がどちらの金額も正しい金額に直してくれました。
おかげで、還付していただける所得税額が千円ほど増えちゃいました。
何か得した気分。

これで、今年の確定申告は終わり。
あとは、組合の法人税申告の作業を残すのみです。


部屋に置いてある君子蘭に、今年もつぼみが出てきました。

ミツマタの花

2016年03月08日 | 市川三郷百景
紙と花火の町、市川三郷町役場本庁舎前の植え込みにミツマタの花が咲いています。
ご存知のように、ミツマタは和紙の原料、花火の玉を作る際にも和紙が使われるのです。

本当は確定申告に行かなければならない時期ですが、季節柄花粉症を我慢しての撮影を優先です。
実は役場庁舎内で確定申告の相談会が開かれています。
気になってちょっと覗いたら、6名ほどの方が順番を待っていました。


名前の通り3本に枝分かれした先に黄色い丸い花が付いています。
これだけたくさん咲いていると、けっこう壮観です。

中にはまだ咲いておらず、ちょっぴりつぼみが出ただけ、というような株もあります。
この差は何なのでしょうね?
あまり、日当たりの差は見えないのですが。



もう一枚、近接撮影を。
身近に鮮やかな色が目立つようになってきました。
春ですねぇ。


あ、確定申告は明日行くことにします。

なでしこ五輪消滅

2016年03月07日 | 日々のつれづれに
なでしこ五輪消滅…中国勝利で残り2戦全勝でも圏内2位届かず

本日の試合結果で完全に可能性が無くなりました。
実際にはその前の中国戦に敗れた時点で、事実上無理な展開ではありましたけど。

W杯に優勝し、五輪でも銀メダルを取るなど、アジアは言うに及ばず世界的にもトップレベルだったなでしこジャパンのあっという間の凋落ではありました。

原因はいろいろとあり、これからマスメディアなどでも本格的に取り上げられると思いますが、やはり世代交代がうまくいかなかった、ということに尽きるでしょうか。

長い間なでしこを引っ張ってきた澤穂希選手が引退した分を、新戦力で補うことができなかったというのが大きかったのかな?
彼女のチカラは攻撃力ではなく、その守備力にあるというのは良く言われてきました。

「いったい、サワは何人いるんだ?」

と、相手チームから言われるほど、危険な場所に常に姿をあらわし、危機の芽を事前に摘み取る能力は他の選手には真似のできないものだったようです。

もうひとつ。

テレビの中継では、グラウンドを高い位置から撮影していますので、ボールの行方、たとえば味方のパスの精度などが素人の私にも良くわかります。
いわゆる岡目八目というやつですが、最近のなでしこのパスは、男子の日本代表のようになってきていると思いました。
決してほめているわけではなく、不用意に相手選手のいる近くにパスを出して奪われてしまうことが多くなってきたと感じています。

以前はそういうことがまれにあっても、澤選手などによりすぐに奪い返すことが出来たのですが、最近はそのパスミスをきっかけに得点を奪われるシーンが目立ってきたなと思います。

相手チームだって、なでしこの戦いぶりを何度もビデオで見て研究しているのでしょうから、次第に彼我の差は狭まり、いつしか逆転を許すようになってしまっていたということなのでしょう。


今大会を最後に佐々木監督は退任する方向だそうです。
澤選手の引退とともに一つの時代が終わったということなんでしょうね。

今回を機会に代表の大幅入れ替えがあるのだと思います。
一時的には弱くなってしまうかもしれませんが、新たな戦力を得て、ぜひとも再び強いなでしこの復活を期待したいと思います。

敬老の会本番

2016年03月06日 | 日々のつれづれに
八乙女公民館主催の「第35回敬老の会」が6日午前10時より開催されました。

運営委員さんは朝8時30分に集合して、受付(17組分)と会場の設営、お土産の準備、女性部の方は豚汁の調理、お茶の接待などを行いました。

会は始めのあいさつ、皆で歌を歌った後、色々なプログラムを楽しんでいただききました。
冒頭の写真は「さくらそう」というグループのフォークダンス(全4曲)の1シーンです。


民踊の愛好会「美鈴会」によるおどり(2曲)の披露。
実はほとんどの方が招待者(75歳以上)だったりします。
今回はオマケで、会場の皆さんと「富士山」を手話の振り付けを付けて踊りました。


今回初参加の「御崎いきいきサロン」の皆さんの大正琴演奏(全7曲)。
懐かしのメロディーといったところで、会場にもマイクを渡し、演奏に合わせて歌っていただきました。


役場いきいき健康課と社会福祉協会による手話教室の風景。
平成27年10月に、地元市川三郷町が手話言語条例を制定し、ろう者と聞こえる人がお互いを理解し共生する社会を実現するための活動を始めました。
今回のような手話出前講座の開催や、手話サークルなどが活動を始めています。

会場の皆さんと「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「ありがとうございます」等の基本のあいさつを練習し、最後に「来年もまた元気でお会いしましょう、さようなら」という手話を行って締めくくりました。

フィナーレは恒例の武田節。
音楽に合わせて歌いました。

今回の会は、いつになく参加者ご自身が歌ったり踊ったりのプログラムが多く、好評だったと思います。
何はともあれ、参加者の皆さん、それに準備や運営に当たっていただいたみなさん、ご苦労様でした。

※音響操作の合間にスマホで撮ったので写真の画質はご容赦ください。

敬老の会、前日準備

2016年03月05日 | 日々のつれづれに
会場の飾りつけを行いました。
正面ステージには公民館旗。


恒例の万国旗。
この写真ではわかりにくいですが、取り付けには少々コツが必要です。


アンプとスピーカー、それにラジカセとマイク。
明日は私の担当になります。


用意したプログラムと当日使う音源を収めたCD。

敬老の会準備

2016年03月04日 | 日々のつれづれに
敬老の会を二日後に控え、準備作業に追われました。

本日までに印刷をお願いしていたプログラムが手違いで出来ておらず、ちょっと慌てましたが、関係者のご尽力で何とか間に合いました。

まずは、体育館の倉庫からパイプ椅子36脚を借りて、会場まで運ぶ仕事。
役員の人と二人で二台の台車で運びました。

記念品となるボックス・ティッシュを受け取りに会場近くのスーパーへ。
250個ともなるとけっこうな量で、重さはともかく軽自動車の荷台がいっぱいになりました。
こちらも、会場に運び込みました。

明日はちょっと離れたところにある公民館から長テーブルを借りて軽トラックで運ぶ仕事が残っています。
ところが、軽トラを出してくれる人が都合で出来なくなり、夜までかかって代替のトラック手配に追われる羽目になりました。
何とか見つかってひと安心。

バタバタした金曜日でしたが、明日は何とかスムーズに準備を終えたいと思います。

桃の節句

2016年03月03日 | 日々のつれづれに
3月3日は桃の節句。

とはいえ、桃の開花はまだ先の話です。
それもそのはず、本来は旧暦の3月3日(4月初旬)に行われるべきものだから。

私の住む辺りでは、雛祭りは4月3日に行います。
でも、昨今はスーパーなどにも、バレンタインデーが終わると途端に雛あられなどが並ぶようになりました。
まだ梅しか咲いていないというのに、です。


山梨でも雛祭りは3月3日に行うところが増えているのかもしれませんね。

それはともかく、山梨県下、今日は高校入試の日。
受験生にとってはとても大事な日であることは間違いありません。


四十数年前(ボカしても仕方ありませんが)、私も受験生でした。
あいにく一週間前くらいから風邪を引いていて学校にも行けませんでした。
同級生は、私が家で猛勉強しているものだとばかり思っていたようですが...。

試験当日の朝になっても熱が下がらず、ふらふらしながらタクシーで甲府市内の試験会場まで行ったのを覚えています。
幸い、試験には合格して何とか中学浪人にはならずにすみましたが、後で振り返ってけっこうアブナい橋を渡った感はありました。

今年の受験生の皆さん、悔いのない受験はできたでしょうか?
二週間後に良い結果が出ることを祈っておりますよ。

古いクルマ

2016年03月02日 | 日々のつれづれに
散歩の途中で見つけた古いクルマ。
もう閉めてしまったお店の下の駐車場に置き去りにされたまま。

ずいぶんと永いこと、この場所にあるのは知っていましたが、しげしげと眺めて写真を撮ったのは初めてのことになります。
車種はいすゞのベレル、でしょうか。


そういえば、そんなクルマがありましたね。

小学校か中学校の時の工場見学で、川崎にあるいすゞ自動車の工場ラインを見た時に、作っていたクルマです。
確か見学の終わりにベレットの下敷きをもらった記憶がありますから。

ナンバープレートも取り去られてしまい、4本のタイヤもすべてぺしゃんこになっているクルマ。
すっかりほこりをかぶっていて、車内を見ることもできません。

フェンダーミラーに三角窓、そしてホワイトタイヤ。
当時としては大ぶりなサイズのクルマでした。

もうエンジンもかからないのかな?

町内の道祖神(2)

2016年03月01日 | 市川三郷百景
市川三郷町内、市川大門地区の道祖神の紹介二回目です。

前回、「出口の道祖神」という五丁目の道祖神をご紹介しましたが、今回は同じ道の並びにある三体の道祖神をご紹介します。

 → 町内の道祖神(1)

五丁目の道祖神から、狭い道を東に百メートルほど行くと、「秋葉ノ辻」という空き地があり、そこに四丁目の道祖神が祀られています。
ここは昔、真言宗の成蔵院というお寺のあった場所で、防火のためと昔の水の流れを再現する取り組みの中で整備されたところです。


この道祖神も双体道祖神で、明治維新直前の慶応二年(1866年)に建立されたことがわかっています。


四丁目の道祖神から70メートルほど東側に、三丁目の道祖神があります。


ここは「中北の井戸端」と呼ばれる場所で、古いくみ上げ式の井戸が設置されているところです。


三丁目の道祖神の建立年はわかっていません。


さらに数十メートル東に行ったところに、二丁目の道祖神があります。


間口の狭い祠の前に東を向いて祀られています。


二丁目の道祖神は、安政五年(1858年)の建立だそうです。


今回ご紹介した道祖神は、普段はあまり目立たないながらも、それぞれの地区で大切に守られています。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より