夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

朝の挨拶、年金生活となると、私はテレビのキャスターから告(つ)げられて・・。

2012-07-07 10:32:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。

私は殆ど毎日、家内より早めに起き出して、日の出前に起床することか多い。
そして洗面所で歯を磨いた後に洗面し、
和室でバジャマから普段着に着替えたりしている。

この後、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして彼の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。

たとえば、過ぎし4日には、
《・・
   自己顕示
   自己嫌悪
   わたしの
    こころ
     うらおもて
             みつを
・・》
このように氏の特有の書体で明記されたりしている。

私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。

そして私は台所で煎茶を淹れた後、家内用のコーヒーを指定されたマグカップに淹れて、
寝室にいる家内の枕元に置いたりしている。
『日中は快晴となるみたい・・洗濯日和だよねぇ・・』
と私は洗濯に何かと気に掛けている家内に、天気情報が朝の挨拶代わりに言ったりしている。

この後、私は居間で煎茶を飲みながら、購読している読売新聞を読んだりしているうちに、
家内は起きだしてきたので、雨戸を開けたりしている。

そして晴れ間のような朝には、テラスに下り立ち、
お天道様に向い、恵みの陽射しに感謝しながら、両手を合わせたりしている。


まもなくした後、NHK総合テレビのニュースを視聴していると、
『おはようございます・・』
とキャスターの朝の挨拶が聴こえた後、それぞれのニュースを報じたりしている。

そして番組の終りの頃、
『今日も一日・・お元気で・・』
とキャスターの元気に声が聴こえ、私は苦笑したりした。

私は年金生活を始めて、8年生になるが、
朝の挨拶を受けたことがないので、苦笑したのであった。

もとより現役のサラリーマン時代は、出社後、数多くの方たちと朝の挨拶を交(かわ)していた。
上司には、『おはようございます・・』と言ったり、
職場の多くに『おはよ~う・』と殆ど私の方から、明るく大きな声で言ったりしてきた。


こうした少し侘びしい心情が残っていたので、
年金生活を始めて、まもない時に私なりに、前向きに心変わりをした。

私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域であり、
我が家から数分歩くと野川が流れている。
この野川の川沿いに遊歩道があり、年金生活を始めてから私は殆ど毎日のように散策している。

ときおり朝の8時半過ぎに歩いたりしていると、
私と同世代の60代の方、少し上の70代の方が散策したり、ウォーキングを見かける。

私は前方から見知らぬ70代ぐらいの男性に、
『おはようございます!』
と私は明るい声で挨拶をした。

そして70代ぐらいの男性は、顔見知りかしら、と思いながらも、
『おはようございます!』
と私に応(こた)えた。

やがて今は、私は70代の男性2名、私よりひとつ齢下の男性、
そして女性は私よりひとつ齢上の方と、2歳齢下の方と、
顔馴染みとなり、お互いに逢うたびに挨拶を交(かわ)している。

たかが朝の挨拶、されど朝の挨拶かしら、と私は微苦笑している。

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