夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

映画『シェーン』に思い馳せると、あの当時の頃が想い浮かび・・。

2012-07-03 16:01:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昼下りのひととき、書棚の映画雑誌のコーナーから、一冊の本を取りだして、
読んだりした。

共同通信社の編集された『MOOK21 20世紀の映画監督名鑑』であり、
1999年11月1日に発行された本で、
映画好きだった私は、まもなく本屋で見かけて買い求めた雑誌であった。

もとより映画監督の作品を基軸とした洋画作品が羅列され、解説も的確に表現されていたので、
この後、幾たびか読んだりしてきた雑誌である。

たまたまが、ジョージ・スティーヴンス監督の欄を再読していた時、
『シェーン』を初めて映画館で観た時を思い馳せたりした。

この作品はジョージ・スティーヴンス監督の昭和28(1953)年に公開された作品であり、
私は後年の高校時代の昭和37(1961)年の頃、リバイバル興行として、映画館で初めて観たひとりである。

この作品が日本で初めて上映された昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇などを観はじめていた。

この当時、私の住む地域から少し離れた大きな街の駅前の映画館に於いて、
ニュース、予告編、本編の合間、スクリーンの脇にあった煌(きらび)やかなカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていた・・。

こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』の唄声が流れ、
時代劇の本編に期待を膨らましながら、
少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声を聴いたりしていたのである・・。
そして唄声を聴いたりすると、東京郊外の映画館であったが、
こうした空間は都会の匂いを感じ、夢のようなひとときであった。

後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。

その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役としてのジャック・パランスに圧倒的に魅了されたりした。

この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていた。

私は確か3年前に、居間にある映画ビデオ棚から『シェーン』を観賞したのであるが、
45年ぶりだったので、懐かしげに鑑賞し、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。

もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、あの昭和28(1953)年の少し前に、
アメリカであのような西部劇が制作されたことに思いを重ねたりしたのである。

私は、ジョージ・スティーヴンスの遺(のこ)された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。


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コメント (2)
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