私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の朝、午前中に駅前で買い物したいわ、と家内が予告もなく私に言ったりした。
何かしら駅前のホームセンターに行き、雑貨品を買い求める主旨であった。
『はい! 了解しました・・行きましょう』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。
私は何かと家事の大半は家内をしているので、
せめて家内のボディ・ガード、荷物持ちをして、お供をしなければ、
一家の主(あるじ)としての責務が果たせないと私は確信を深めている。
こうして私たち夫婦は、午前中の大半、駅前までの大通りの歩道を路線バスにも乗らず、20分ばかり歩き、
駅前のホームセンターに行き、買い物を終えた後、
家内のお好みの食事処で昼食をして、帰宅したのは午後1時半過ぎであった。
その後、家内が居間でテレビを視聴していた時、
私は付近でネットである音楽業界のサイトを見ていたが、
何かしら上野動物園で24年ぶりに誕生したジャイアントパンダの赤ちゃんが死んだことを報じていた。
そして夕方になると、都庁で記者会見した土居利光園長は
「職員も徹夜で頑張ってくれていただけに、非常に残念だ」
と声を詰まらせながら、報道陣の執拗な質疑に応(おう)じていた。
私は日本の園児、学童の多くの待望されたバンダの赤ちゃんだったので、
上野動物園の飼育された数多くの職員さんの日夜の心労は、
大変でしたね、と日夜の奮戦に、責務でありながらも同情したりしてきた。
そして私は、無力ながらバンダの赤ちゃんを『シャオボーちゃん』と名付けた私は、
たった3日で終わってしまい、成果は虚(むな)しい結果となり、心の中で苦笑した・・。
この『シャオボーちゃん』の愛称については、このサイトで過ぎし9日の深夜に、
《 バンダの赤ちゃん、愛称は『シャオボーちゃん』にすれば、と少しボケた私は夢想して・・。》
と投稿したが、今回あえて再掲載する。
【・・
過ぎし5日より、上野動物園でジャイアントパンダの「シンシン」が産んだオスの赤ちゃんが、
連日のようにテレビのニュースで報じられている。
何かしら中国の日中親善の一環として、中国政府のご厚意でお借りしたものらしく、
2年後に返還されると私に聴こえたのである。
そしてこの赤ちゃんは、未だに名前がないらしい。
私は日本の園児、学童の多くに、待望されたバンダの赤ちゃんなので、
余計なお節介と思いながら、最も相応(ふさ)しい名前はないかしら、と思案した。
そして少しボケてきた私は、玄関庭に下り立ち、
煙草を喫いながら考えたりした・・。
そして読売新聞に於いて掲載されたひとつの記事を思い浮かべた。
《・・、
中国・天安門事件で学生運動のリーダーとして投獄され、その後米国に亡命した王丹氏(43歳)が、
5日に中野区内で開かれるドキュメンタリー映画の上映会を前に初来日し、読売新聞のインタビューに応じた。
そして王氏は「中国の民主化は日本の利益にもつながる。
中国の人権問題に日本の人々も関心を持ってほしい」と訴えた。
王氏は北京大学の学生だった1989年、天安門事件の学生指導者として逮捕され、
計6年間、獄中で暮らし、1998年に渡米した。
現在は台湾の大学で中国史を教えている。
天安門事件について、王氏は「当時、改革開放政策で官僚の腐敗が横行したため、政府に改善を求めた」と説明し、
「要求を武力で弾圧した政府は、腐敗分子を守ったということだ」
と改めて政府の対応を批判した。
王氏はインターネットなどで中国の民主化を訴え続けているが、
ハッキングを受けて電子メールのアドレスを書きかえられるなど、今でも弾圧を受けているという。
「天安門事件の頃よりも言論統制は悪化している」と指摘する。
(略)
(2012年7月7日09時17分 読売新聞)
・・》
このような内容の記事であったので、改めて脳裏に浮かべたりした。
そしてバンダの赤ちゃんの名前は、『シャオボー』ちゃんにすれば相応しい、
と私は微苦笑しながら確信を深めたりした。
単細胞で少しボケた私の発想の由来は、
過ぎし2010年の秋に、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となり、
服役中の劉 暁波(りゅう・ぎょうは、発音:リュウ・シャオボー)さんのことである。
もとより氏は、中華人民共和国の著作家で元・北京師範大学文学部講師の身ながら、
人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄された方である。
そして2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、
2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け、錦州監獄で服役中の身である。
そして氏は、ノーベル賞受賞者されたと知った時、
「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流した、
と私は新聞の記事で読んだりした。
もとより言論、出版、集会、結社の自由を保障した中国の憲法35条があるが、
党や政府機関が定める細則によって「絵に描いたもち」になっていると報じられていた。
そして胡錦濤国家主席や温家宝首相の発言を引用し、
検閲の廃止やネット上の言論削除の禁止、記者の取材報道の自由などを要求した、
付記されていた。
私は日本の多くの園児、学童たちに、待望されたバンダの赤ちゃんを『シャオボー』ちゃんと愛称され、
2年間の間に、多くの方に親しまれた上、本国に返還されれば、と思いをめぐらしたのである。
その後、日本の多くの園児、学童たちが成長しながら、
本国に帰還された『シャオボー』ちゃんを思い浮かべると共に、
『シャオボー』ちゃんの命名された語源を考えて、
劉 暁波(りゅう・ぎょうは、発音:リュウ・シャオボー)さんの存在を知り、
多々学んで欲しい、と無力な私は夢想したのである。
・・】
このように私は熱き想いで綴ったりした。
しかし無力な私がゴットファーザのような愛称を付けた真似事も、
待望されたバンダの赤ちゃんが亡くなってしまえば、
成果はなく、せめて亡くなったバンダの赤ちゃんに、ご冥福を、と心の中で呟いたりした。
この後、日本の大手メディアのテレビ、新聞などは、バンダの赤ちゃんの報道について、
余りにも過剰であり、日本の社会の幼稚化の証(あかし)かしら、と私は苦笑したりした。
ひとつとして、ある民間の女性キャスターが、我が日本の野田首相に質疑されたことに、
私は動顚してしまった・・。
もとより野田首相は財政再建と社会保障制度改革を推進するために、
消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革に多忙のお方である。
ある民間の女性キャスターが、首相官邸か国会議事堂の通路かと思われるが、、
『総理・・バンダの赤ちゃんが亡くなったことは、ご存じですよねぇ・・
どのように思われますか?』
と野田首相に対して質疑されたのである。
私は日本人のひとりとして、恥ずかしく、
どうか海外の人々が、このシーンを見なければよいが、と私は深く感じたりした。
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昨日の朝、午前中に駅前で買い物したいわ、と家内が予告もなく私に言ったりした。
何かしら駅前のホームセンターに行き、雑貨品を買い求める主旨であった。
『はい! 了解しました・・行きましょう』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。
私は何かと家事の大半は家内をしているので、
せめて家内のボディ・ガード、荷物持ちをして、お供をしなければ、
一家の主(あるじ)としての責務が果たせないと私は確信を深めている。
こうして私たち夫婦は、午前中の大半、駅前までの大通りの歩道を路線バスにも乗らず、20分ばかり歩き、
駅前のホームセンターに行き、買い物を終えた後、
家内のお好みの食事処で昼食をして、帰宅したのは午後1時半過ぎであった。
その後、家内が居間でテレビを視聴していた時、
私は付近でネットである音楽業界のサイトを見ていたが、
何かしら上野動物園で24年ぶりに誕生したジャイアントパンダの赤ちゃんが死んだことを報じていた。
そして夕方になると、都庁で記者会見した土居利光園長は
「職員も徹夜で頑張ってくれていただけに、非常に残念だ」
と声を詰まらせながら、報道陣の執拗な質疑に応(おう)じていた。
私は日本の園児、学童の多くの待望されたバンダの赤ちゃんだったので、
上野動物園の飼育された数多くの職員さんの日夜の心労は、
大変でしたね、と日夜の奮戦に、責務でありながらも同情したりしてきた。
そして私は、無力ながらバンダの赤ちゃんを『シャオボーちゃん』と名付けた私は、
たった3日で終わってしまい、成果は虚(むな)しい結果となり、心の中で苦笑した・・。
この『シャオボーちゃん』の愛称については、このサイトで過ぎし9日の深夜に、
《 バンダの赤ちゃん、愛称は『シャオボーちゃん』にすれば、と少しボケた私は夢想して・・。》
と投稿したが、今回あえて再掲載する。
【・・
過ぎし5日より、上野動物園でジャイアントパンダの「シンシン」が産んだオスの赤ちゃんが、
連日のようにテレビのニュースで報じられている。
何かしら中国の日中親善の一環として、中国政府のご厚意でお借りしたものらしく、
2年後に返還されると私に聴こえたのである。
そしてこの赤ちゃんは、未だに名前がないらしい。
私は日本の園児、学童の多くに、待望されたバンダの赤ちゃんなので、
余計なお節介と思いながら、最も相応(ふさ)しい名前はないかしら、と思案した。
そして少しボケてきた私は、玄関庭に下り立ち、
煙草を喫いながら考えたりした・・。
そして読売新聞に於いて掲載されたひとつの記事を思い浮かべた。
《・・、
中国・天安門事件で学生運動のリーダーとして投獄され、その後米国に亡命した王丹氏(43歳)が、
5日に中野区内で開かれるドキュメンタリー映画の上映会を前に初来日し、読売新聞のインタビューに応じた。
そして王氏は「中国の民主化は日本の利益にもつながる。
中国の人権問題に日本の人々も関心を持ってほしい」と訴えた。
王氏は北京大学の学生だった1989年、天安門事件の学生指導者として逮捕され、
計6年間、獄中で暮らし、1998年に渡米した。
現在は台湾の大学で中国史を教えている。
天安門事件について、王氏は「当時、改革開放政策で官僚の腐敗が横行したため、政府に改善を求めた」と説明し、
「要求を武力で弾圧した政府は、腐敗分子を守ったということだ」
と改めて政府の対応を批判した。
王氏はインターネットなどで中国の民主化を訴え続けているが、
ハッキングを受けて電子メールのアドレスを書きかえられるなど、今でも弾圧を受けているという。
「天安門事件の頃よりも言論統制は悪化している」と指摘する。
(略)
(2012年7月7日09時17分 読売新聞)
・・》
このような内容の記事であったので、改めて脳裏に浮かべたりした。
そしてバンダの赤ちゃんの名前は、『シャオボー』ちゃんにすれば相応しい、
と私は微苦笑しながら確信を深めたりした。
単細胞で少しボケた私の発想の由来は、
過ぎし2010年の秋に、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となり、
服役中の劉 暁波(りゅう・ぎょうは、発音:リュウ・シャオボー)さんのことである。
もとより氏は、中華人民共和国の著作家で元・北京師範大学文学部講師の身ながら、
人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄された方である。
そして2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、
2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け、錦州監獄で服役中の身である。
そして氏は、ノーベル賞受賞者されたと知った時、
「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流した、
と私は新聞の記事で読んだりした。
もとより言論、出版、集会、結社の自由を保障した中国の憲法35条があるが、
党や政府機関が定める細則によって「絵に描いたもち」になっていると報じられていた。
そして胡錦濤国家主席や温家宝首相の発言を引用し、
検閲の廃止やネット上の言論削除の禁止、記者の取材報道の自由などを要求した、
付記されていた。
私は日本の多くの園児、学童たちに、待望されたバンダの赤ちゃんを『シャオボー』ちゃんと愛称され、
2年間の間に、多くの方に親しまれた上、本国に返還されれば、と思いをめぐらしたのである。
その後、日本の多くの園児、学童たちが成長しながら、
本国に帰還された『シャオボー』ちゃんを思い浮かべると共に、
『シャオボー』ちゃんの命名された語源を考えて、
劉 暁波(りゅう・ぎょうは、発音:リュウ・シャオボー)さんの存在を知り、
多々学んで欲しい、と無力な私は夢想したのである。
・・】
このように私は熱き想いで綴ったりした。
しかし無力な私がゴットファーザのような愛称を付けた真似事も、
待望されたバンダの赤ちゃんが亡くなってしまえば、
成果はなく、せめて亡くなったバンダの赤ちゃんに、ご冥福を、と心の中で呟いたりした。
この後、日本の大手メディアのテレビ、新聞などは、バンダの赤ちゃんの報道について、
余りにも過剰であり、日本の社会の幼稚化の証(あかし)かしら、と私は苦笑したりした。
ひとつとして、ある民間の女性キャスターが、我が日本の野田首相に質疑されたことに、
私は動顚してしまった・・。
もとより野田首相は財政再建と社会保障制度改革を推進するために、
消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革に多忙のお方である。
ある民間の女性キャスターが、首相官邸か国会議事堂の通路かと思われるが、、
『総理・・バンダの赤ちゃんが亡くなったことは、ご存じですよねぇ・・
どのように思われますか?』
と野田首相に対して質疑されたのである。
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