夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夏の愛(いと)しき花のひとつ、木槿(ムクゲ)に心酔を重ねて、早や20年が過ぎ・・。

2014-07-23 15:57:06 | 定年後の思い
私は東京の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨夕、明日の23日の日中、都立『神代植物公園』の『むくげ園』を訪ねてみょう、と思いたった。
我が家の小庭は、長きに彩(いろど)っているアメリカン芙容、木槿(ムクゲ)もあるが、
木槿(ムクゲ)の各品種の多彩な彩(いろど)りを観たくなったである。

本日の朝、陽射しが燦々と小庭を照らし、日中は猛暑が予想されていたので、
我が家から徒歩50分ばかりの都立『神代植物公園』に行くのは、熱中症を避けるために、
結果的には我が家より京王線の『つつじが丘』駅までは徒歩で15分ばかり歩き、
その後の『神代植物公園』前までは路線バスで往還してしまった。

こうした中で、『神代植物公園』に10時過ぎに到着した後、『むくげ園』に向った・・。
          

私は民間会社の中小業に35年近く勤め2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活にを始めた。

そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした年金生活をした翌年の2005年(平成17年)初夏、いつものように買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。

私は宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅で花びらは白く、
心澄んだ気品を秘めたような花と魅了されて、20年は過ぎている。
               

私が50歳の頃までは、公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。

今は亡き作家・山口 瞳(やまぐち・ひとみ)さんの作品を確か1985年〈昭和60年〉の頃から愛読してきた私は、
たまたま1994年(平成6年)の夏、氏の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を読み、
亡くなわれた作家・向田邦子(むこうだ・くにこ)さんへの鎮魂曲のように綴られた随筆を読んだりしていた。

この随筆を読み終わった後、氏は白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子さんの作品であったなら、宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が相応しい、と私は勝手に思い重ねたりした。

この時以来、私は宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を見るたびに、山口 瞳さんの随筆に導かれて、
向田邦子さんの顔立ちを思い浮かべながら、
向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりした。

このような思いを私なりに秘めているので、
山口 瞳さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆の作品、
そして向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆、テレビドラマ・脚本の作品、
散策をした時などで、不意に私の心の片隅みから蘇(よみが)ってくることがある。
               


このような心情のある私は、いつの日にか我家では宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を植えよう、
と思っていた時、
過ぎし2007年(平成19年)の6月に、伊勢神宮に近い鳥羽の観光旅館で、
2泊3日の滞在型の団体観光ツアーの旅の帰路、
鳥羽港から伊勢湾フェリーを下船後、渥美半島の伊良湖岬から団体観光バスに乗車してまもなく、
休憩を含めて、道の駅で下車した。

そして私たち夫婦は未知の地であったが、私は道の駅のドライブ・インの売店の外れで、
小さな園芸店の即売されている幼い樹木が数多くあり、
この中に偶然に木槿(ムクゲ)の幼い樹を見かけた・・。

簡素な黒いビニール鉢に入り、樹高が20センチ足らずで、花芽は5つ前後付いていた・・。
値段は確か200円程度であったと記憶している。

そして売店の女性の販売員のお方に
『宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)は、ありませんか?・・』
と私は尋(たず)ねたのであるが、
無念ながら、販売員のお方は花木に全く無知の方である上、観光バスの出発も迫ってきたので、
私は妥協して買い求めたりした。

帰宅後、まもなく地植えにしたが、かぼそい樹形であったが、
夏の終りの頃まで、10数輪咲いてくれた。

そして毎年成長して、3年過ぎた初夏に、
樹高は2メートルを超えて、100輪ぐらい花を咲かせ、私は悦んだのである。
               

私はここ20数年、我が家の小庭にある樹木・花木・草花に関しては、原則として肥料は与えず、
太陽の恵みの陽差し、そして雨、その地の土に馴染んで成長しなさい、と身勝手な主(あるじ)の私であるが、
この木槿(ムクゲ)は、自力で私の期待に応(こた)え、勢い良く成長してくれた。

しかしながら数多くの花は咲くが、花火のように多彩な色合いを彩(いろど)るのである。
無念ながら宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の純白の色合いには遠く、
紫紅色の花が彩(いろど)ってくれる高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)に近い花びらもあり、
或いは淡い紅色の花びらもあり、どうしてなの、と私は戸惑ったりしてきた。
               

そして花木の園芸の栽培のお方が、たわむれに各種の木槿(ムクゲ)を取り混ぜて、
この中のひとつとして、我が家にある花火のような色々な花びらを咲かせる木槿(ムクゲ)になったのかしら、
と無知な私は思ったりしている。

数年前、駅前の園芸店で純白の色合いである宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を見かけて、
立ち止まって眺めて、樹高30センチで花びらが6輪咲いていた。
そして価格札には、野口英世のお札の値段と同じで、私は心が動いた・・。

そして30秒ぐらい思案したが、結果として私は断念した。

確かに底紅で花びらは純白の色合いの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)には、
気品ある美を感じて、圧倒的に魅了されて20年過ぎてきたが、
我が家の雑種のような木槿(ムクゲ)は、健気(けなげ)にも我が家の地に馴染んで、
早や8年が過ぎ、愛(いと)おしさを増してきている。

そして我が家の木槿(ムクゲ)でも、朝の冷気が残る頃、花びらは秘かに開き、
日中の熱い陽射しを受けながら凛とした色合い見せて、
夕暮れの時に閉じ、花の命(いのち)は終わりを告げるように、儚(はかな)さを感じさせる。
               

このような一輪が花びらは、わずか一日で命を果てるが、
たわわな莟(つぼみ)からは、競演するように初夏から盛夏に向けて彩(いろど)り、
古来より『槿花(きんか)一朝の夢』と伝えられていることに、
この時節にときおり私は眺め、深く教示させられている。


このような木槿(ムクゲ)に関して、ささやかな思いがある。
そして『神代植物公園』の『むくげ園』を鑑賞して、何の品種か不明であるが、
こうした花も瞬時に圧倒的に魅了されてしまった・・。
          

そして浮ついた私は、この花も素敵だ、と見惚れたりした。
          

この後、付近にあるベンチに私は座り、正門で頂いた『神代花だより』(平成26年7月)の中で、
ムクゲに関しての解説文を読んだりした。
《・・ムクゲは中国原産といわれ、韓国の国花となっています。
花弁は5個を基本とし、雄蕊(おしべ)が花弁化して内弁となった品種や
花の中心部が濃色の底紅(そこべに)になるものも観られます。

花は一日花ですが、日当たりさえよければ7月から10月にかけて次々と咲きます。
我が国では江戸時代から多数の園芸品種が作出されました。
神代植物公園では、はなもも・むくげ園で約40品種のムクゲがご覧になれます。》
          

このような解説文を読み、確かに魅了される多くの品種があります、
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微笑んだりした。

この後、周辺の樹木、花を鑑賞して、園内を辞したのは午後1時過ぎであった。

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コメント (4)
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