私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
そして過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、何かしら重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる。
こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されている。
こうした中、体力も衰えた私は、新型コロナは、
どこで感染して、どこでウイルスを広げているのか、わからないのが怖く、
せめて人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。
こうした中、過ぎし2月24日、冬晴れの中、強く北風が吹く寒い中、
人出も少ないと思われる近くの桜並木の遊歩道を散策した・・。
確かに平年より一割ぐらいの人出で、人込みを避けていた私の予測が当たったねぇ・・と独り喜びながら、
デジカメで一期一会と思いながら、記憶のかたみの代わりに撮ったりした。
やがて帰宅後、鼻水が出て、風邪でも退いたかしらと思い、
体温計で測定したら、平熱は36.5度ぐらいの私は、37.5度になり、
やむなく市販の総合風邪薬を服用して、早めに寝た。
そして翌日の25日の朝食後も熱ぼく感じたので、体温計は38.4度だったので、
本日は寝ているょ、と私は家内に言ったりした。
そして布団の中で、朝の9時より読書に専念していたが、
風邪で一日寝込んでいるのは、10年ぶりかしら、と苦笑したりした。
この後、夕食後に体温計は39.8度だったので、
私は単なる風邪ではなく、もしかしたら新型ウィルスに感染してしまったのかしら、
と不吉なことも思案したりした。
家内も体温がこのままだったら、緊急入院の準備をするわ、と私は言ったりした。
やがて夜の10時過ぎには、38.5度に下がり、
翌日の26日の朝食後は、37.0度、昼過ぎには36.6度となり、
平熱となり、私たち夫婦は安堵したりした。
先程、ときおり愛読しているネットの【 ディリー新潮 】を見たりしていた中、
新型コロナに感染されたお二人の状況経過を証言された、
記事があり、私はどのような経過で、その後の状況を学びたく、精読して多々教示させられたりした。
そして新型コロナの感染者してしまう状況、経過、そして実態に関心がある御方と共有致したく、
あえて記事の前半部を転載させて頂く。
《・・職場の同僚、あるいは知人や親族が“陽性”と診断された方も少なくないだろう。
もはやコロナは、“いまそこにある危機”であり、発症後まもなく重症化する例も頻発している。
武漢に端を発した未知のウイルスから命を守るにはどうすればよいのか。
「六本木のオフィスを後にして、仕事仲間と書店を訪れた時に、熱っぽさを感じました。
すぐに帰宅し、体温を計ると37・4度。
風邪をひいた時のように暖房をつけて厚着をしたものの、なぜか全く汗が出なかった」
コンサルティング会社「Globality」CEOで、都内在住の渡辺一誠さん(40歳)が、
体調の異変に気づいたのは3月22日のことだった。
「翌日から、目の奥がズキンズキンと痛み出しました。
ひどい二日酔いのようで、脱水症状や熱中症になった時の頭痛に似た感じです。
その後、朝方は37度台だった体温が、日が暮れる頃には39度台の高熱に達することが続きました」
渡辺さんは26日に保健所に連絡し、病院に向かったものの、散々待たされた挙句、
「まだ時間がかかりますが、どうしますか?」
と言われ、診察を受けず帰ることに。
ところが、
「帰宅して山椒の利いた麻婆豆腐を食べたのですが、いつもなら途中でスプーンを置くような辛さなのに、
すいすい食べ切ってしまった。
“これはさすがにおかしい”と思い、翌日に改めて保健所に連絡して、症状を洗いざらい伝えました」(同)
指定された港区内の病院でPCR検査を受けると、結果は“陽性”。
そのまま入院し、胸部CTを撮影したところ、肺が軽い炎症を起こしていることも分かった。
「最も症状が酷かったのは、入院した直後です。
解熱剤を飲んでも、熱は40度近くから下がらない。
一度咳き込むと、堰を切ったように、痰の絡まない空咳が続くので眠れなかった。
インフルエンザの30倍は苦しかったですよ。
食べ物を口にしても、水で薄めたような味しかしないので食欲も湧きません。
お腹も緩くなって、下痢の症状が続きました」(同)
こうした“初期症状”は、他のコロナ患者にも共通する部分が多い。
同じく3月末に高熱に見舞われた、関西在住の40代男性はこう明かす。
「私の場合は38度近い熱が出たのと同時に、咳と下痢に襲われました。
とりわけ下痢が大変で、一時は1日に10回は便意を催して、トイレに駆け込んでいたほど。
とはいえ、いきんでも出るのは、ほとんどガスで、あとは泡のような便が少量といった感じです。
それ以外の症状としては、やはり味覚の変化。
麦茶を飲むと、苦みを感じて信じられないくらいマズかった」
男性は昨年、大腸がんの手術をして、今年2月まで抗がん剤治療を続けていた。
「そのため、症状が出た直後に、保健所に連絡しました。
ただ、保健所には、“かかりつけ医を受診してほしい”と言われ、内科の個人病院を訪ねたら、
はれ物に触るような対応で、隔離ブースに案内されまして・・・。
レントゲン写真を撮影して医師の問診を受けると、“初期の肺炎がある”と。
それを保健所に伝えて、4月1日にやっとPCR検査を受けることになったのです」
感染症指定医療機関である総合病院に向かうと、
「病院の敷地内に設けられた仮設の建物で、PCR検査を受けました。
粘膜を採取するため、長い綿棒を鼻の奥と喉に突っ込まれたのですが、
私がクシャミをすることを懸念して、医者は背後から器用に綿棒を挿入していましたね。
検査自体は5分ほどです。
とはいえ、病院からの電話で“陽性”と聞かされたのは、2日後の4月3日のことでした。
正直なところ、これだけコロナを疑う症状が出ているのに、
なんでもっと早く陽性と判断してくれなかったのか、と思いましたよ」
入院できる病床がなく、男性は妻と暮らす自宅で、隔離生活を送っている。
「嫁にうつさないよう部屋にこもり、テーブル、便座には使うたびに、除菌スプレーを吹きかけています。
室内でも嫁と話すときは、マスクが欠かせません。
症状は落ち着きましたが、どこかで重症化しないか、不安を抱えながら過ごしていた。
ただ、13日になって保健所から連絡があり、次のように伝えられました。
まず、今後も入院はせずに、自宅療養を続けてほしい。
そして、追加のPCR検査は行わず、4月17日まで症状が出なければ、
就業制限が解かれて、翌日から復職できます、と。
個人的には、改めてPCR検査を受けたいのですが、
病院側には軽症者を検査したり、ベッドを用意する余裕はないのだと思います」
入院生活を続けていた先の渡辺氏も3月末には、高熱が峠を越え、4月10日に退院を果たした。
幸いにも症状が快方に向かった彼らは、どうにか“日常”を取り戻しつつある。
『週刊新潮』 2020年4月23日号掲載・・》
こうした記事を学び、多々教示されたりした。
こうした記事の後半部に於いて、
《・・コロナ対応に追われる医療関係者によると、
コロナ患者のうち約85%は無症状か、自然に回復する軽症者。
残る15%のなかで、6%が重篤化する・・》と私は学び、気弱な私は震撼させられたりした。
私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半過ごしてきた。
昨今、コロナの重症者になってしまった時は、死にも直結する場合もあるので、
苦しみながらあの世にいくのは、小心者の私は何とか避けたい、と念願している。
そしてコロナに感染して重症者になることにも、勘弁して下さい、
ときおり祈願したりしている。