夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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石堂 淑朗(いしどう ・としろう)氏の死去を知り、しなやかに自身の信条を貫(つらぬ)いた人・・。

2011-12-01 16:48:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、ネットのニュースで映画、テレビの脚本家、そして評論家であった石堂淑朗(いしどう・ としろう)氏の死去を知った。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111201/ent11120112230008-n1.htm
☆【MSN産経ニュース】<==《 脚本家の石堂淑朗氏が死去 「日本の夜と霧」「黒い雨」》☆

私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退して、映画青年の真似事をしたりした。

こうした時期に、日本の映画も映画館に通い、多々の名画を鑑賞した。

大島渚作品の『太陽の墓場』(1960年)、『日本の夜と霧』(1960年)、浦山桐郎作品の『非行少女』(1963年)、
吉田喜重作品の『水で書かれた物語』(1965年)などを鑑賞して、
脚本が石堂淑朗氏と知り、私がめざした分野と違うが、脚本の構成の大切さなどを学んだ。

その後の私は、文学青年の真似事をした後、はかなくも挫折して、
やむなく民間会社に中途入社した後も、ときおり映画を観たりした。
氏の脚本としては、実相寺昭雄作品の『無常』(1970年)、蔵原惟繕作品の『南極物語』(1983年)、
今村昌平監督『黒い雨』(1989年)などが記憶として残っている。

或いはテレビのシナリオとして、
氏の『三匹の侍』(1963年、フジテレビ)、『子連れ狼』(1973年、日本テレビ)も私は視聴した記憶がある。

そして後年に、月刊雑誌の『新潮45』に、氏の寄稿された随筆を精読したり、
単行本として『石堂淑朗の百面相破れかぶれ』(朝日新聞社、1991年)を購読したり、
私は大人の世間の視方を多々教示されたりした。

こうした間に、何かの本で、
《・・かつて左翼色の濃厚な作品を多く手がけてきたが、近年は政治的に保守派の論客となり、
多くの評論を書いている。・・》
と私は読んだ記憶もある。


もとより氏の映画、テレビの作品で数多くの脚本も担当され、
随筆などを多々寄稿されてきたが、私が触れたのはわずか一部であるが、
氏は時代が大きく変貌してきた中で、筆一本で、
この過ぎてきた時代をしなやかに自身の信条を貫(つらぬ)いてきた稀(まれ)な人、
と改めて私は感じ、敬服させられる。

そして私は、まぎれない気骨ある大人の視線のある人が死去された、と思い馳せながら、
私の心を揺さぶったひとりの怖い人が亡くなってしまった、と寂しい心情がある。

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