夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

11月の『錦繍月』に別れを告げ、12月の『師走』に高齢者の私でも、元気よく迎え・・。

2011-12-01 11:04:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、私は朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)に彩(いろど)った11月に別れを告げて、
今年も確かな秋が受容できました、と感謝しながらカレンダーを破いたのである。
そして、『師走(しわす)』の12月に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)いたのであるが、
月日の流れは余りにも早く過ぎ去った、というのが実感である。

今朝の7時過ぎに、地元の天気情報を見たら、
朝の6時過ぎは7度、昼下がりの最高気温は6度前後、夜の6時は5度前後で、
冷たい雨が降る小庭をぼんやりと眺め、微苦笑したのである。

昨日は朝の6時は8度、昼下がりは16度、そして夕暮れの6時は13度となり、
秋日和の余情のような快晴の中、たまたま家内から誘われて、都心のデパートに買い物に行ったりし、
自宅から最寄駅まで10分ばかりの旧街道を私たち夫婦は歩き、
のどかな陽射しの中、朱紅色、黄色に染められた錦繍に彩った情景を享受したりした。

昨日の11月の暦(こよみ)にさよならし、新たな12月を迎えたが、
たった一日で11月の初めのような陽気から、冬のような寒さとなり、
天上の気候の神々の采配に私は戸惑って、どうしてなの、と空を見上げながら呟(つぶや)いたりした。

12月は、古来より『師走』とか『年満月』と称されているが、
幼年期の頃に農家の児として育てられた田舎者の私は、
何かの本で中世の頃は、『為果(しは)月』とも命名されているのを学んだりしてきた。
たとえ身体は衰えてきたが、少なくとも気力と感性だけは12歳ぐらい若い、と私だけが思っているので、
今年最後の12月ぐらいは、何とか目標をたてて成果ある月に、しなければならない、
自身にすまない、と思ったりしているのである。


定年後の12月の毎年の私の習(なら)わしは、
年賀状を差し出す方の選定、文案の創作、投函することだし、
そして年末年始に向けて庭の手入れをして、
或いは御節料理に準じたの材料で、家内からの緊急要請で私の買物に行く回数が増えるぐらいとなっている。

あとは独り住まいの家内の母に年末の28日にに来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月4日まで共に過ごすぐらいが、恒例となったりしている。

しかし、家内の足手まといならないように、本年こそは大掃除を少しばかり手伝い、
秘かに決意しているのである。


振り返れば、今年は私が9月下旬に高齢者の3年生に進級して67歳になり、
家内も12月下旬に62歳となり、
名実共に年金受給の夫婦となり、ときおり2人で一人前と感じることもある。


この間、私たち夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、特に冬の季節の旅に魅了されるので、
この12月20日過ぎに4泊5日で、
北海道のある厳冬地で雪が舞い降り情景を観る小旅行を予約をしている。


このように本年の12月を過ごす予定であるが、
果たしてどのようになるか、と小庭にある朱紅色に染められたモミジを眺めたりし、
微苦笑したりしている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高齢者の私でも、ときには家... | トップ | 石堂 淑朗(いしどう ・とし... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

定年後の思い」カテゴリの最新記事