夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

女神の中島みゆきさん、コンサート「歌会 VOL.1」劇場版が全国で公開、私は鑑賞して・・。

2024-12-28 19:20:02 | 傘寿からの思い

誰しも本、映画、音楽等で、ふとしたきっかけで、
その創作者に夢中になり、のめり込むことがあると思う。

私も音楽に於いて、ひとりのアーティストの出会いもそのような形であった。

この当時の私は、あるレコード会社に勤め、コンピュータを活用した情報畑に所属していた。




1989年(昭和64年=平成元年)の初め、昭和天皇が崩御された後、昭和から平成と年号の変換、
そして4月から日本で初めての消費税の対応で、睡眠時間を削りながら奮闘していた・・。

1月のある日曜日、土曜休日も奮戦していた為、

昼過ぎまで寝過してしまい、パジャマ姿でぐったりしていた・・。

日曜日の夕方、疲れきった私は、パジャマ姿で家内が買物に行くのを見送ったりした。
そして足早に過ぎていく、夕陽を見たりしていた・・。



お茶を淹れた後、カセット・テープをラジカセCDに何気なしにかけたりした。
そして、何曲目から、人の尊厳を問うかのように、流れ聴こえてきた・・。

♪エレーン
  生きていてもいいですかと 誰も問いたい
 エレーン
  その答を誰もが知っているから 誰も問えない・・(略)・・

 
【『エレーン』 作詞、作曲・中島みゆき 】

私は聴きなが感極まって、やがて目頭が熱くなり、涙があふれ出た・・。

                           

このカセットテープは、シナオリライターの倉本 聰(くらもと・そう)さんが、

監督・脚本の『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
私の勤務する会社から発売され、試聴用として頂いたのを、初めて聴いたのであった。

この映画に使用された音楽は、金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』、五輪真弓さんの『恋人よ』、
中島みゆきさんの『エレーン』、浜田麻里さんの『ハート・ライン』、高橋真梨子さんの『モノローグの九月』、
北原ミレイの『石狩挽歌』、森昌子さんの『越冬つばめ』等であった。

このように各レコード会社の所属する有数な歌手を使用したので、
レコード会社の発売先が難題であったが、テーマ曲が金子由香利さんであり、
私の勤務先の会社で決まった、と上司から聞いたりしていた。

私は初めて中島みゆきさんを心に留めたのは、この曲からである。

中島みゆきさんは、他社のレコード会社に所属していたが、
中島みゆきさんの名と曲ぐらいは、制作に直接に関係のない情報畑の私でも、
私の務め先でアイドル歌手用に、何曲か作詞・作曲をして頂だいたりしてきた。

たとえば、

♪記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます・・(略)・・

【『春なのに』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私からみれば、文学的に感性のあるシンガーソングライターのひとり程度だった・・。

そして『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
当然知っていたが、これまでは何事もなく私の心は通りすぎて行ったのであったが、
心の中に溶け込んできたのは、この『エレーン』をきっかけとなった。

                           

多くの方が魅了されたアーティストに対し、
初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。

こうして私は、中島みゆきさんのデビューアルバムの『私の声が聴こえますか』から
最新の『回帰熱』までのアルバムは、私はまたたくまに購入した。
そして、多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された・・。

今、思い出しても、この当時に百回以上聴いた曲は、『アザミのララバイ』、『歌をあなたに』、『時代』、

『冬を待つ季節』、『忘れるものならば』、『ホームにて』、『時はながれて』、
 『玲子』、『おまえの家』、『世情』、『根雪』、『小石のように』、『エレーン』、
『異国』、『夜曲』、『肩に降る雨』、『HALF』、『白鳥の歌が聴こえる』、
『クリスマスソングを唄うように』、『ローリング』、『黄砂に吹かれて』、
『群集』、『儀式(セレモニー)』であったりした。

こうした中、随筆集も求めて精読したが、

文体は軽く、随所とらえる感覚が鋭いところがある程度だったが、
意識的に、読みやすく工夫をしている、と解釈した。


ラジオ放送は、わずかしか聴いていなかったが、随筆と同様と判断した。

そして、中島みゆきさんに関しての評論本も購入して読んだりした。

こうした結果として、中島みゆきさんの生命線は、

やはり作詞・作曲、そして歌につきる、と深く思いながら、
コンサートを観る機会を待ち焦(こ)がれたりした。



           
平成元年(1989年)11月、業界の注目の中で、

渋谷の文化村にあるシアターコクーンで『夜会』が公演されたが、
私は前売りの予約も取れず、キャンセル待ちをわずかな望みを託したが、敗退した。

そして翌年に第2回の『夜会』を平成2年11月29日に、

私は少し高揚しながら鑑賞した。

こうして私は、中島みゆきさんの曲を知り初めて3年間ぐらいは、

物狂いのように無我夢中で、殆ど毎晩聴いたりしていた。

そして熱病から平熱になっても、週に一度ぐらいは聴いたりしていた。

            

やがて私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院生活をして、もとより業務から離脱し、

社会から取り残されたように心情の時、『永久欠番』で救われたりした。

この後、私が勤めていた会社がリストラ烈風の中、55歳から出向時代していた中で、
『ヘッドライト・テールライト』が支えのひとつとなったりした。




私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、

瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、

♪語り継ぐ人もなく
 吹きすさぶ風の中へ
 紛れ散らばる星の名は
 忘れられても
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

という詞であった。

そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、

♪行く先を照らすのは
   まだ咲かぬ見果てぬ夢
 遥か後ろを照らすのは
 あどけない夢
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。


          
この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、名曲の数々に救われ、

今でも私の秘かな女神となっている。



このような深情のある私は、今回の記事を精読した・・。
CDJournal

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