本日、冬晴れの
何かしら『週刊文春』2017年2月9日号の中で、ベストセラー解剖と連載記事があるらしく、
今回は髙橋幸枝さん著作『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』
(飛鳥新社、2016年9月8日 発売)を採り上げて、
この本の担当編集者された江川隆裕さんが、解説された文である。
この記事は【文春オンライン 】に2月5日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。
《・・『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』(髙橋幸枝)――ベストセラー解剖
「今のシニア層には肉体的に元気な方が多いですよね。
子育てが終わり、孫の顔を見ても、まだ先がある。
そうなったとき、『残りの人生で何をしたらいいのかわからない』
といった漠然とした不安に悩まれる方が多いようなんです」(担当編集者の江川隆裕さん)
そんな状況がありながらも、高齢者の心の問題に、寄り添おうとする著作は少ない。
大正5年生まれ、満100歳の著者による大ヒット中の本書は、貴重な1冊だ。
精神科医として患者と半世紀にわたり向き合い続けた中で、
見つけ出した40個の「生きるヒント」を、語りかけるような穏やかな文章でまとめている。
「自分より若い人の言葉よりも、
年上の方の言葉のほうが素直に受け入れられるところがありますよね。
70代、80代になっても、やはり同じなんです。
年長者の言葉を求めている。
とはいえ、その条件に応えられる著者はなかなかいません。
髙橋先生はちょうど、今のシニア層にとって親の世代にあたり、
実際に『亡くなった母から励まされているような気持ちになった』という反響も届きました。
内容もさることながら、高齢者に人生の先達として言葉をかけられる著者である点も、
ヒットの要因として大きく感じています」(江川さん)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。
その後、養成所の講師の知人から、同じ創作をするのだったら小説を書きなさい、
とアドバイスを受けた後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/99/913b29a2282219882b1bf083ba6e48df.jpg)
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフトコースに、
一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、
この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、
外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。
こうした中、制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
この後、経理畑、そして営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/4b/67ef1294219e5994cd928c80cc459bfe.jpg)
こうした中で、1998年(平成10年)に音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から、各レコード会社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
こうした中で、私はもとより上司、先輩などから多々教示されたりし、
或いは書物から多く学んだりしてきた。
そして少年期から父親が不在であったので、
何かしら慈父のような御方を探し求めたりしてきた・・。
或いは年長の御方たちから、人生のものさし、を学びたく過ごしてきた。
こうした中で書物からは、作家の庄野潤三、城山三郎、山口 瞳、宮脇俊三、倉本 聡、各氏の
随筆から学んだりしてきた。
やがて2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
阿川弘之、曽野綾子、三浦朱門、 高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、各氏の随筆から、
殆ど読み、人生の指針を学んだりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/79/2526b57b40e7281d10c8e54c1d981e8f.jpg)
或いは、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるが、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、私が『おひとりさま』になること考えられる。
こうした思いもあり、愛妻を亡くされた倉嶋 厚・著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫・著作の『妻の肖像』、 垣添忠生・著作の『妻を看取る日』、
川本三郎・著作の『いまも、君を想う』、新藤兼人・著作の『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、
これ以外は、すベて年長の御方たちである。
私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e5/a4b636c7c1eaf1bdcfb95d20eeedca84.jpg)
こうした状況もあり、高齢者だって年上の言葉を聞きたい!、瞬時に確かな名言と思い、
そうですよねぇ・・、と定年後20年半を過ごしてきた私でも、深く同意を重ねている・・。
余談ながら、今回の髙橋幸枝さんのこ著書は未読である。
何かしら『週刊文春』2017年2月9日号の中で、ベストセラー解剖と連載記事があるらしく、
今回は髙橋幸枝さん著作『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』
(飛鳥新社、2016年9月8日 発売)を採り上げて、
この本の担当編集者された江川隆裕さんが、解説された文である。
この記事は【文春オンライン 】に2月5日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b0/3bf8a730a6fbb0eeca9272958ca2ce3f.jpg)
《・・『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』(髙橋幸枝)――ベストセラー解剖
「今のシニア層には肉体的に元気な方が多いですよね。
子育てが終わり、孫の顔を見ても、まだ先がある。
そうなったとき、『残りの人生で何をしたらいいのかわからない』
といった漠然とした不安に悩まれる方が多いようなんです」(担当編集者の江川隆裕さん)
そんな状況がありながらも、高齢者の心の問題に、寄り添おうとする著作は少ない。
大正5年生まれ、満100歳の著者による大ヒット中の本書は、貴重な1冊だ。
精神科医として患者と半世紀にわたり向き合い続けた中で、
見つけ出した40個の「生きるヒント」を、語りかけるような穏やかな文章でまとめている。
「自分より若い人の言葉よりも、
年上の方の言葉のほうが素直に受け入れられるところがありますよね。
70代、80代になっても、やはり同じなんです。
年長者の言葉を求めている。
とはいえ、その条件に応えられる著者はなかなかいません。
髙橋先生はちょうど、今のシニア層にとって親の世代にあたり、
実際に『亡くなった母から励まされているような気持ちになった』という反響も届きました。
内容もさることながら、高齢者に人生の先達として言葉をかけられる著者である点も、
ヒットの要因として大きく感じています」(江川さん)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/6f/46d652176e8ed8b4b793a90d125d96f6.jpg)
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。
その後、養成所の講師の知人から、同じ創作をするのだったら小説を書きなさい、
とアドバイスを受けた後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/99/913b29a2282219882b1bf083ba6e48df.jpg)
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフトコースに、
一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、
この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、
外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。
こうした中、制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
この後、経理畑、そして営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/4b/67ef1294219e5994cd928c80cc459bfe.jpg)
こうした中で、1998年(平成10年)に音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から、各レコード会社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
こうした中で、私はもとより上司、先輩などから多々教示されたりし、
或いは書物から多く学んだりしてきた。
そして少年期から父親が不在であったので、
何かしら慈父のような御方を探し求めたりしてきた・・。
或いは年長の御方たちから、人生のものさし、を学びたく過ごしてきた。
こうした中で書物からは、作家の庄野潤三、城山三郎、山口 瞳、宮脇俊三、倉本 聡、各氏の
随筆から学んだりしてきた。
やがて2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
阿川弘之、曽野綾子、三浦朱門、 高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、各氏の随筆から、
殆ど読み、人生の指針を学んだりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/79/2526b57b40e7281d10c8e54c1d981e8f.jpg)
或いは、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるが、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、私が『おひとりさま』になること考えられる。
こうした思いもあり、愛妻を亡くされた倉嶋 厚・著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫・著作の『妻の肖像』、 垣添忠生・著作の『妻を看取る日』、
川本三郎・著作の『いまも、君を想う』、新藤兼人・著作の『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、
これ以外は、すベて年長の御方たちである。
私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e5/a4b636c7c1eaf1bdcfb95d20eeedca84.jpg)
こうした状況もあり、高齢者だって年上の言葉を聞きたい!、瞬時に確かな名言と思い、
そうですよねぇ・・、と定年後20年半を過ごしてきた私でも、深く同意を重ねている・・。
余談ながら、今回の髙橋幸枝さんのこ著書は未読である。