『 「終活」よりも「推し活」。推し活が《幸福寿命》を延ばす。
その瞬間のときめきや喜びは、認知症でも変わらない。
推しへの思いが認知症の進行予防に 』、
と題された見出しを見たりした。
こうした中、過ぎし2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
私たち夫婦は、安楽な年金生活は、激変したりした・・。
そして家内はこの後、2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきたのは、5年9カ月前の出来事であった・・。
私たち夫婦は、震撼しながら揺れ動いたりした・・。
もとより転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、私の『おひとりさま』の生活などを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。

やがて手術後の経過検査をして、何かしら5年過ぎれば、
死亡する確率は減少すると、学んできたので、
何とか転移だけは・・と願いで、この5年を願い続けてきた・・。
そして幸運にも昨年の4月を迎え、5年間の最終検査として、
胃カメラよる『胃の精密検査』、超音波による『エコー検査』、
CTによる『膵臓の精密検査』、内視鏡による『大腸の精密検査』をしてきた。
この結果を昨年の5月9日、手術して下さったから担当医師より、
現状としては、総体的には問題はない、このような意味合いの承認を得た、
と待合室で待機していた私に、家内は微笑みながら私に言ったりした。
今回、《・・「終活」よりも「推し活」・・推し活が《幸福寿命》を延ばす・・》、
何かと気になり、記事を読んでしまった。
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・

現代の生きる糧として注目されている「推し活」。
もともとは若者を中心に使われる言葉でしたが、
昨今は「幸福寿命」の観点から、高齢者に推奨する動きが活発になっています。
そんな「シニア推し活」について、高齢者医療の第一人者・和田秀樹が
解説した著書『60代から100歳以上まで 人生が楽しくなる「シニア推し活」のすすめ』より、
一部を抜粋してご紹介します。
◆推し活が幸福寿命を延ばす
健康寿命の他に、平均寿命や平均余命も、最近は聞き慣れた言葉でしょう。
では、「幸福寿命」という言葉をご存じでしょうか?
幸福寿命とは、健康かそうでないかに関わらず、
心から幸せを感じられる期間を、どれだけ長く保てるかという考え方です。
人生100年時代といわれる現代で、この幸福寿命を延ばすことは、
ますます重要になるでしょう。
そのための手段として、私はみなさんに推し活を強くおすすめします。
推し活をすると、幸せな自分を発見しやすくなります。
「好きなアーティストのコンサートに行くことが、何よりも幸せ」と感じたり、
「推しを見るだけで、元気が湧いてくる」と思ったりすることもあるでしょう。
そんなふうに思えている人は、幸福感が高く、自ずと幸福寿命も長くなるものです。
オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーは、
「人は、ありのままの自分を受容し、無条件で他者を信頼するなかで、
私は誰かの役に立っているという貢献感を実感すること。
それこそが幸福である」と言っています。

『60代から100歳以上まで人生が楽しくなる「シニア推し活」のすすめ』(著:和田秀樹/KADOKAWA)
推し活のいいところは、本来、わがままで自己中心的であるはずの人間が、
推しのために、生きることで喜びを得られるというところです。
そうすることで、ときめきや喜びが生まれて、日々の生活に彩りが加わり、
毎日を心豊かに過ごすことができます。
推し活は、誰にとっても魅力的なものですが、
特に高齢者には、有意義なことばかりです。
例えば、足腰が以前のように動かせなくなって、
自由に外出することが難しくなったとしても、自宅で推しのコンサート映像を観ることで、
感動やときめきの時間を持つことができます。
また、推しを応援するためのグッズを作ったり、
心のこもった手紙を書いたりすることも、自分のペースで楽しめる活動です。
こうした創造的な活動は、年齢に関わらず、
思いがけない充実感をもたらし、幸福感を高めてくれます。
できれば誰もが知っているメジャーな人よりも、マイナーな人を推したほうが、
より深い幸福感を得られる傾向があるようです。
自分だけの推しを見つける喜びは、
他者との比較から解放され、純粋な満足感をもたらします。
もしも推し活の対象を見つけることができれば、
それだけで幸福な時間が増え、普段の暮らしがイキイキとしたものになるでしょう。
いつからでも、始めるのに遅すぎることはありません。
大切なのは、自分が好きだと思うことを、自分のペースで楽しむことです。
他人と比べたり、無理をしたりする必要はありません。
自分にとって心地よい推し活のスタイルを見つけ、それを楽しむことが、
真の幸福感に繋がります。・・ 》
◆好きなものへの思いが認知症の進行を遅らせる
認知症について、多くの人が誤解をしていることがあります。
認知症とは、基本的に認知機能が低下するものですが、
「うれしい」、「悲しい」、「腹が立つ」など、人としての感情は変わらないものです。
例えば、読売ジャイアンツファンである認知症の人が、
テレビで野球観戦をしているときに、選手がホームランを打ったのを見て、
「やったぁ!」と喜んだとします。
しかし、その10分後には、そのことを忘れてしまいます。
これが認知症ですが、その瞬間のときめきや喜びは、健常者と変わらないのです。
ある本で、認知症の人は、いろいろな嫌なことを忘れ、
症状が重くなればなるほどニコニコとして、
幸福度が上がる人が多いと書いたことがあります。
すると、インターネットサイトの書評で
「私は幸せそうにしている認知症の人なんて見たことがない」と書き込んだ人がいました。
そのような意見は、認知症という病気に対する誤解を助長するもので、非常に残念なものです。
認知症の人でも、おいしいものを食べているときは、
幸せそうな顔をしますし、うれしいことがあれば喜びます。
逆に、介護者にガミガミと怒られれば、
悲しそうな顔をしますし、嫌なことがあれば、つらそうな顔をします。
認知症の人は、症状が進行するほど、多幸的になることがありますが、
それでも嫌なことがあれば、やっぱりつらいのです。
ただ、多くの場合、そのことをすぐに忘れて、またもとのニコニコ顔に戻ることが多いものです。
つまり、認知症になったからといって、
別の人格になるわけではなく、感情的な側面は健常者と大差ないのです。
だからこそ、心からうれしいと感じる瞬間を大切にし、
その喜びを引き出すことが、進行を遅らせる手立てになることがあります。
そこで注目したいのが、推し活です。
認知症というと、記憶力や身体機能の低下を心配する人が多いのですが、
最も大きな問題は、前頭葉の機能が低下することによる、意欲の低下です。
認知症になると意欲がなくなり、そのせいで頭を使わなくなるため、
放っておくと、ますます症状が進行してしまいます。
そのため、本人にどんなに嫌だと言われても、
デイサービスに通わせて体を動かしたり、他人との交流を促したりすることが重要なのです。
意欲が低下した認知症の人に、
急に「推し活を始めましょう」と言っても、それは到底無理な話です。
しかし、もともと好きなものがあるならば、それをなるべく続けさせてあげることが、
認知症の進行を遅らせることに繋がる可能性は十分にあります。
例えば、昔から特定の歌手のファンで、長年追いかけてきた人であれば、
カラオケで、その歌手の歌を歌ったり、日常会話のなかで好きな歌手の話題を出したりすると、
すごく喜ぶものです。
昔から競馬が好きな人ならば、お金をかけるか否かは別としても、
競馬の試合を観戦することで、興奮や楽しみを感じることができて、元気でいられます。
好きなものがある人のほうが、認知症になってからでも、アクティブでいられるのです。
そう考えると、認知症を怖がるより前に、自分が好きなものを見つけることが重要です。
さらに、介護が必要となった人に対して、
好きなものや夢中になれることを見つけられるようにサポートをすることで、
意欲が向上し、認知症の発症や進行の予防に、繋がる可能性は十分にあると思います。・・》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私は、高齢者医療の専門家の和田秀樹さんに関しては、
私はここ5年ぐらい書物を購読したり、或いはネットで配信された寄稿文を学び、
多々教示され、敬愛を深めている御方のひとりである・・。
今回、《・・「終活」よりも「推し活」・・推し活が《幸福寿命》を延ばす・・》、
80歳の私は、具体的に解説を学びながら、多々教示させられたりした・・。
私は年金生活の中で、
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、公園などを散策する中、
魅せられた情景を記憶のかたみとして、デジカメで撮ったりしている。
私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりすることが多い。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、話しかけられたり、
或いは話しかけたりして、歓談したりしている。
このようにささやかな日常生活を20年ばかり過ごしたりしているので、
今回の学んだ《・・自分にとって心地よい推し活のスタイルを見つけ、
それを楽しむことが、真の幸福感に繋がります・・》に微笑んだりしている。
今回、私が最も学んだことは、《・・好きなものがある人のほうが、
認知症になってからでも、アクティブでいられるのです。
そう考えると、認知症を怖がるより前に、自分が好きなものを見つけることが重要です。・・》、
であった。
これからの晩秋期の私にとっては、最も困苦することは認知症であるが、
少し恐怖心が、やわらいだりした・・。