私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であり、
子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭となり、古惚けた一軒家に住んでいる。
花曇りのような朝を迎え、やはり日中は曇り空になるのかしら、
と主庭の樹木の幼葉を広げ始めた後の萌木色に染められ、
或いは早くもみずみずしい新緑の情景を眺めたり、そして空を見上げたりした。
その後、10時過ぎに最寄のスーパーに買物に向ったのであるが、
少し遠回りして近くの野川の遊歩道を歩いていた。
遊歩道の下方の川沿いに黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを
ここ5日ぐらい単細胞の私は歩き、菜の花の香りに心を寄せたりしてきた。
この後、新緑となった欅(ケヤキ)、コナラ、クヌギなどの大きな雑木がある小公園を歩いたりすると、
ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだのである。
買物を終えた帰路、道路際にある朱紅色や紅色の躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)は早くも咲き始め、
そして純白の耳飾りのような可愛らしい花のドウタン・ツツジも咲き始めたり、
その付近には菖蒲(あやめ)の群生は新芽が赤味を帯びている中、華麗な白い花が咲いているのを眺めたりし、
まもなく下旬から5月の初旬の大型連休の時節になる、と思ったりした。
そしてトボトボと歩いていると、
萌木色した葉の中で純白の花水木(ハナミズキ)の樹が2本咲いているのに気づき、
私は足を止めて、長らく見つめたりした・・。
私は定年退職後、その直後から年金生活をして8年目を迎えているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきたのである。
そしてこの時節を迎えると、今年も咲いてくれたのねぇ、と思ったりしてきた。
この後、私は自宅に向いながら、
突然にひとつの歌が脳裏に浮かび、心の中で静かに唄いだしたのである。
♪空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際(みずぎわ)まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ
【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】
私は遅ればせながら、退職後にこの一 青窈ちゃんの『ハナミズキ』に魅了されて、
確か6年前だったと思われるが、NHKの音楽番組の中で、
一 青窈(ひとと・よう)さんと徳永英明(とくなが・ひであき)さんが、デュエットでこの歌を唄っていた。
一 青窈ちゃんは美麗ながら、心の深淵まで託したご自身の思いを唄い、
徳永英明さんは、透明感あるシルキー・ヴォイスで、圧倒的な歌唱力の声量で唄い、
この歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、
胸が熱くなり、やがて涙を浮かべそうなくらい圧倒的に感銘を受けたのである。
この後、歩道で人影が少ないのを確かめて、かぼそい声で唄いだした・・。
♪薄紅色の可愛い君のね
果てしない夢がちゃんと 終りますように
君と好きな人が 百年続きますように
【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】
私は、残された歳月で私自身の夢を実現をさせる命題もあり、
そして私たち夫婦は、この先いつまでも慎(つつ)ましながらも
年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いをいつも重ねてしまう。
私は小声で唄っているうちに、胸が熱くなり、
そして瞼(まぶた)も熱くなり、齢を重ねると涙もろくなる、と実感しながら家路に向ったのである。
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子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭となり、古惚けた一軒家に住んでいる。
花曇りのような朝を迎え、やはり日中は曇り空になるのかしら、
と主庭の樹木の幼葉を広げ始めた後の萌木色に染められ、
或いは早くもみずみずしい新緑の情景を眺めたり、そして空を見上げたりした。
その後、10時過ぎに最寄のスーパーに買物に向ったのであるが、
少し遠回りして近くの野川の遊歩道を歩いていた。
遊歩道の下方の川沿いに黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを
ここ5日ぐらい単細胞の私は歩き、菜の花の香りに心を寄せたりしてきた。
この後、新緑となった欅(ケヤキ)、コナラ、クヌギなどの大きな雑木がある小公園を歩いたりすると、
ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだのである。
買物を終えた帰路、道路際にある朱紅色や紅色の躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)は早くも咲き始め、
そして純白の耳飾りのような可愛らしい花のドウタン・ツツジも咲き始めたり、
その付近には菖蒲(あやめ)の群生は新芽が赤味を帯びている中、華麗な白い花が咲いているのを眺めたりし、
まもなく下旬から5月の初旬の大型連休の時節になる、と思ったりした。
そしてトボトボと歩いていると、
萌木色した葉の中で純白の花水木(ハナミズキ)の樹が2本咲いているのに気づき、
私は足を止めて、長らく見つめたりした・・。
私は定年退職後、その直後から年金生活をして8年目を迎えているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきたのである。
そしてこの時節を迎えると、今年も咲いてくれたのねぇ、と思ったりしてきた。
この後、私は自宅に向いながら、
突然にひとつの歌が脳裏に浮かび、心の中で静かに唄いだしたのである。
♪空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際(みずぎわ)まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ
【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】
私は遅ればせながら、退職後にこの一 青窈ちゃんの『ハナミズキ』に魅了されて、
確か6年前だったと思われるが、NHKの音楽番組の中で、
一 青窈(ひとと・よう)さんと徳永英明(とくなが・ひであき)さんが、デュエットでこの歌を唄っていた。
一 青窈ちゃんは美麗ながら、心の深淵まで託したご自身の思いを唄い、
徳永英明さんは、透明感あるシルキー・ヴォイスで、圧倒的な歌唱力の声量で唄い、
この歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、
胸が熱くなり、やがて涙を浮かべそうなくらい圧倒的に感銘を受けたのである。
この後、歩道で人影が少ないのを確かめて、かぼそい声で唄いだした・・。
♪薄紅色の可愛い君のね
果てしない夢がちゃんと 終りますように
君と好きな人が 百年続きますように
【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】
私は、残された歳月で私自身の夢を実現をさせる命題もあり、
そして私たち夫婦は、この先いつまでも慎(つつ)ましながらも
年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いをいつも重ねてしまう。
私は小声で唄っているうちに、胸が熱くなり、
そして瞼(まぶた)も熱くなり、齢を重ねると涙もろくなる、と実感しながら家路に向ったのである。
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特に純白のハナミズキに惹かれます。
昔 私の住んでいる街の古くからあるステーキ・レストランの庭に、一本の枝ぶりの良いハナミズキの木がありました。
5月に入ると2メートルくらいの小ぶりの丈のハナミズキの木に、純白の花が咲いていました。
いつもこのレストランの前を自転車で通りすぎる時、自転車を止めてしばし眺めていました。
オーナーのおばあさんが亡くなってからは、レストランがつぶれてしまい、残念なことにハナミズキの木も無くなってしまいました。
このような形の良いハナミズキはそんなにないので、どこかの公園に残して欲しかったと思います。
現在、このステーキ・レストランの跡地は、中型のマンションに変わってしまいました。
今夜、NHKの「SONGS」に一 青窈さんが出られるので、録画して後で視ようと思っています。
たしかお母様を思ってハナミズキの作詞をされたと聞いた覚えがあります。
♪君と好きな人が 百年続きますように ♪
一 青窈さんの声に合わせて、私も口ずさむと思います。
>昔 私の住んでいる街の古くからあるステーキ・レストランの庭に、
>一本の枝ぶりの良いハナミズキの木がありました。
>5月に入ると2メートルくらいの小ぶりの丈のハナミズキの木に、純白の花が咲いていました。
>いつもこのレストランの前を自転車で通りすぎる時、自転車を止めてしばし眺めていました。
貴兄はハナミズキ、思いで樹でもあり、心の樹でもありますね・・。
>今夜、NHKの「SONGS」に一 青窈さんが出られるので・・
>たしかお母様を思ってハナミズキの作詞をされたと聞いた覚えがあります。
私は確か3年前の頃、テレビである音楽番組を視聴していたら、
一 青窈(ひとと・よう)さんが出演され、自ら作詞された『ハナミズキ』の歌を唄う前に、
『・・私が10歳を過ぎてまもない時・・母が亡くなわれ・・
この歌の三番は母を偲んで書き上げました・・』
このようなメッセージを発露したあとで、この『ハナミズキ』を唄われ、
私は胸が熱くなったことがありました。
♪ひらり蝶々を
追いかけて 白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉 贈って下さい
待たなくもいいよ
知らなくてもいいよ
【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】
過ぎ去りし日々の人生の思いを託した歌は、圧倒的に感銘を受けます。