夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

平素おとなしい私でも、ときには物狂いのようになる時期もあり、独り微苦笑して・・。

2022-08-20 12:20:58 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
私は年金生活の18年生の中では、散策をしながら、四季折々の情景享受している。

こうした中、ともすれば魅了された情景を忘れてしまうこともあり、
 記憶のかたみとして、デジカメで撮ったりしている。

 

そして随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などを読んだり、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい名作を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴いたりして、独りを愉しむ時を過ごしている。

このような平穏な年金生活で過ごしているが、
過ぎし年までは、物狂いのようになっていた時期もあったりした。




何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの人生の軌跡を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、
と苦笑したりしてきた。

年金生活18年生の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。


そしてこれまで歩んできた人生の中で、

ときには熱病のように無我夢中となったりする時があったりした。

大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。



たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に、

偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱愛した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、

少なくとも週2回ぐらい退社後に通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、

この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を自室で擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。



やがて1989年(昭和64年)に、
遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。

『エレーン』の歌であり、この当時の私はあるレコード会社の情報畑で、
奮闘していた時代であった。

こうした中、消費税実施が翌年の4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたりした・・。。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたりした。

この後、リストラ烈風の中、あえなく出向した中、『ヘッドライト・テールライト』が
心の支えとなってきた。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読したり、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、

今でも私の秘かな女神となっている。



やがて1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

この後の数年間は、物狂いのように熱愛し、殆ど毎晩CDで聴いたり、
ビデオテープ、DVDの映像作品を視聴したりした。
そして定年後の年金生活の今でも、ときおり聴いたりしている。
                    


私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、

ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。

少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、

恋い焦(こ)がれて時もあった。
         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ともすれば食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。




恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることもある。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの・・、
と思ったりする時もある。
コメント (2)
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