その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

九牛の一毛を失う?

2024-12-29 07:06:30 | 巡礼

No.10「ゴギョウ(ハハコグサ)」…違ってた^^;

 「ゴギョウ」は『おやじぃ』の田んぼの畦にも生えている…しかし、夏に草刈りをするから、ここにあるという確証はない。同級生『S子』の畑の法面には間違いなく生えている。だから、画像に納めたければそこに行けば良いのだけれど、今は雪の下である。昨日、結球レタスの成長具合を眺めていたら、白っぽい『雑草』が生えていた…ラッキー!田んぼに行かなくても撮影できるじゃないか、と思ったのも束の間…カメラ越しに見た『雑草』は「ゴギョウ(御形)」とは似ても似つかぬ草でした。
 No.6「オニノゲシ」に比べると葉が白っぽくくすんで見えるのよねぇ…一体何モノなんだろう?分からないとストレスが溜まるのよ。No.6 『正体不明のロゼット』は、もしかすると『イヌナズナ』かも知れない。こうして解決の糸口が見えると少しは胸も晴れるのでありますけれどね。わずか60㎡のハウスの中でさえこの調子だから、外に出たら一体どうなるんでしょうねぇ(笑)


10月末に送った「MYジョッキ」が届いた^^;

 さて、オッカー不在の昼ご飯は「深川めし」と決めていた。「アサリの水煮缶」では今ひとつだわねぇ…生アサリではお高いし、ニンジンよりはゴボウの方が良い出汁も出ると思うのですが仕方ない。「深川めし」を調べてみたら、本来はアサリとネギを味噌で軽く煮込んだ「ぶっかけ飯」だったらしい。今では「ぶっかけ」と「炊き込み」の二種類があると『おやじぃ』の味方、農水省が言っていた。(オラは、アサリの炊き込みご飯だとばかり思っていたけれど…^^;)もう10年前かなぁ…同級会で上京したときに、本場の下町あたりでゴチになろうと思ったのだけれど、敷居の高そうなお店ばかりで断念して、本物を味わったことがないのよ。残り少ない人生だから『心残り』は少しでも減らしておこう…しかし、花の東京に出掛ける用事が無いのよねぇ。


焦げる寸前に火を止めて…

 はてさて、土鍋の湯気と音に耳を澄ませ、鍋底が焦げる寸前で火を止めて、アサリを乗せて蒸らす…後は刻みネギを散らして食します。午後から出掛ける用事もないから、届いたばかりの名入りの「サン生MYジョッキ」でひと缶、6缶パックのおまけで付いていた小振りのジョッキで、またひと缶…せっかく送られて来た「MYジョッキ」ではあるけれど、今は五十肩痛で持ち上げるのが辛いのよ^^;
 そうそう、本日のお題『九牛の一毛にも能わず』…『おやじぃ』が子どもの頃に亡きお袋が発した言葉である。(どうやら彼女も国民学校の先生の教えの受け売りらしい^^;)正確には「九牛の一毛を失うが如し」だと思う…「史書」を残した司馬遷が、皇帝の逆鱗に触れ、極刑を命じられた時を回想した言葉のようであります。「所詮、私が死んだとしても、九牛(多くの牛)の一毛にも及ばない存在である。(取るに足りない存在である。)」と自分を卑下した言葉のようである。はて、『おやじぃ』がこの言葉を掛けられたシチュエーションはどうだったかなぁ…子どもにしては小賢しい『おやじぃ』を諫める言葉であったような気もするし、今まで得た「知識」など薄いものであり、一生が勉強である、といったことを諭す言葉でもあったような記憶なのですが…。
 今年も残すところ、あと三日となりました。『雑草』の名前を憶えたところで何の役にも立ちませんが、分からないと胸がモヤモヤする。このモヤモヤを晴らすために日々暮らしているような気もしますが、「人はなぜ生きて、どう生きるのか。」という一番のモヤモヤは当面晴れることはなさそうでありますよ(笑)


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